拉致被害者救出運動20年特別集会全記録
西岡力(救う会会長) 松本京子さんは、29歳で拉致されて今68歳になります。1947年、昭和22年1月生まれの、今ここにいらっしゃる孟(はじめ)さん、そして48年9月生まれの京子さん、50年生まれの弟さんの3人兄弟で、3人とも歩いて5分とかからない近くの学校に通っていた。年子の妹の京子さんの思い出を孟さんはこう語っています。
まあ喧嘩だけはよくしました。もう顔を合わしたら喧嘩をしている。それが兄弟でしたね。でも京子の同級生に聞くと、京子はおとなしくてもの静かだった。割とおだやかで、誰とでも遊んだし、面倒見のいい、どっちかというと義理堅い表現なんですね。そう聞いても私はちょっと想像がつかないんです。いつも喧嘩ばかりしていたから。喧嘩と言っても口喧嘩ですが、私は口ではかなわなかった。京子はもうしゃべりますからねえ。だけど別に仲が悪いというわけではない。意地を張ってどうこうするわけでもない兄弟ですから。
社会人になって自分で稼ぐようになった京子さんは旅行などによく出歩くようになった。孟さんが思い出すのは、京子さんが舟木一夫のファンだったことです。当時若い女性に絶大な人気を誇った。わざわざ兵庫県まで舟木一夫の公演を見に行った時の写真が今も残っているそうです。孟さんお願いします(拍手)。
◆私たちは本当に今年が最後の年になるかも
松本孟(松本京子さん兄)
みなさんこんばんは。こんな遅い時間までご苦労様です。
妹は身体だけは元気で、大きな病気をすることなしで育ちました。妹がいなくなった時に一番心配したのは母親で、私たちは三人兄弟で、どこの家も一緒だったと思いますが、一人いなくなってもどうってことないなという軽い気持ちでおりました。
でも現実に帰ってこないとなると、これもまた心配なものでして、どうなったのか全く分からずに月日が過ぎてしまった。本当に探しようがなく、途方に暮れた中で探せなくなっていく。そんな中で母親だけは心配をする。本当に残念なことですが、今日まで一生懸命探し、心配もしましたが、未だに帰らない。
妹が北朝鮮で元気に暮らしているというだけのことしかまだ分かっていませんが、家族として、何としてでも助け出さなければならない。私たちは本当に今年が最後の年になるかもしれません。
運がよければ来年も探す機会があるのかもしれませんが、今年は何とか日本に帰れるようにしてやらないと、いつまでもこの状態が続いてしまう。そうするとずるずると深みにはまってしまい助けられなくなってしまう。そういう心細い心配は絶えずしています。
本日ここにお集まりの方々は、私の妹だけでなく、家族会の関係、そして特定失踪者の方々が、一日も早く全員が帰ってこれるように是非お力添えをお願いしたいと思いますので、宜しくお願いいたします(拍手)。