今年中にすべての被害者の救出を!国民大集会 全報告
◆家族が頑張るのではなく、我々が、国が頑張るべき
西岡力(救う会会長)
私は少し反省をしています。我々はこの間20年間運動をしてきましたが
家族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会の人に「頑張ってください」という声がかかります。
そうではないはずです。今滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被害者に、「もう少しですよ、頑張ってください」と日本語で言わなければならないんです。そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのを我々が助けるのではない。
しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の身をすり減らして、ここにも来れないような身体になられた。
しかし、それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動を我々がしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような。
そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないんです。これから家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうにいる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けようではありませんか。
家族会の人たちにお話をしていただきますが、その間被害者の写真をスクリーンに出します。
まず横田めぐみさんですが、私がまず人となりについて少しだけ言います。滋さんの思い出です。
めぐみは東京オリンピックが始まる昭和39年10月5日、名古屋で生まれました。非常に大きく、金太郎さんのような女の子でした。小さい時から本が大好きで、童話の本を読み聞かせるとすぐに覚えてしまいました。
小学校6年1学期が終了した時、新潟に転校になりました。2学期からでしたが、その年図書館から借りた冊数が学年で一番で、少女小説からスリラーまで、何でも読んでいました。
帰国被害者が語る北朝鮮でのめぐみさんです。
ずっと日本に帰りたいとの思いを持ち続け、紙に弟さんの名前を繰り返し書いていた。希望を持つとここでは生きていけないと、ここでは希望を捨てることを話した。
本が好きで、歌が好きで、双子の弟たちが大好きだっためぐみさんが13歳で拉致されて、今52歳です。横田家のみなさんお願いいたします。