今年中にすべての被害者の救出を!国民大集会 全報告
◆甘さを残したまま、この国が流れていくのではないか
横田早紀江(横田めぐみさん母)
今日はたくさんの方がお集まりくださり、ありがとうございます。
今主人の映像を見ていただきましたが、食事も食べて、歩くこともできています。なんでこんなに話せなくなったんだろうと、自分でそういうことは言えるんですが、こういう所で話すとぜんぜん声が出てこない。ここまで言葉がでているのに、声が出ないといいうような状況で、そして出て来れないという状況です。見ていても気の毒で、私たちも疲れていますが、皆様にくれぐれも宜しくと言っていました。ありがとうございます。
今まで皆様方の話を伺い、安倍総理を初め議連の先生方、知事さん、地方議連の方々、本当にたくさんの方々が支えてくださいまして、本当に考えられないほどの大きなうねりとなって、今世界中を巻き込んで北朝鮮の姿がはっきりとした形で現れてきました。
そのような恐ろしいところに、まだ捕らわれたままで帰って来られない。最優先としてという言葉は当然のことであって、これは隣国の指導者が指令を出して、工作員をたくさん送り込んで、たくさんの若者を連れてきなさいと命令を出したのは、めぐみたちがいなくなった前の年だと聞いています。
それから次々とたくさんの人たちが連れ去られて、今の5人の方と家族以外は、まだどこにいるのか影さえも見えない。色々な情報とか噂とか、変な本とか、私たちがびっくりするようなことが書かれているものとか色々ありますが、そんなものに私たちは全然めげておりません。
そしてこれは、先ほど松田さんがおっしゃいましたように、本当に国家の問題であって、たまたま私たちの子どもたちが、特定失踪者の方もそうですが、そこで遭遇したのかどうなったのか分かりませんが、捕まえられて連れて行かれたままです。
そしてあちらで教育されて、その国のために働かされているような人生に変えられてしまっているということなんです。どの方のお子さんだったかは、その瞬間で違っていたかもしれない。これは国家の中の大きな、屈辱的な問題なんです。
だからこれは犯罪があったまま何もできない40年間は国家の恥だと私は思います(拍手)。絶対にこれは誰がやってもいけないことであって、これをこのままに解決ができなかった時に、「ああやっぱり日本は何もできないね」ということを向こうにイメージづけるだけに終わってしまえば、また次の子どもたちがどういう形でどういう目にあうか分からないという甘さを残したまま、この国が流れていくのではないかな、と。
私はめぐみちゃんのこともかわいそうですが、そんな時期はもう過ぎました。本当に悔しくて、またあの国家はいままたあんなことをやっています。今後はこれをどのような形で、よほどにいい知恵を出し合わなければ。
そして暴発が起きたり、色んなことをできないようにしながら、よい説得ができれば、世界中が声を出して、「そちらももっと世界に出てきてください。世界中の総理大臣と同じようにあなたも出てきてください。みんなと仲良く話しませんか」という形でですね。
そして「本当のことが話し合える状況になりませんか」というよいメッセージも出していただいて、効くかどうかそれはやってみなければ分かりませんので、色々な方法で全力を投球して、国家の恥を絶対にさらけ出さないように頑張っていただきたいと思います。
それまでどうぞ子どもたち全部が、あちらの国で、本当に天の意志で守られるように私は祈っています。どうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。
司会 続いて田口八重子さんです。飯塚繁雄さんの思い出です。
私たちは7人兄弟で、八重子は一番下の妹です。一番八重子を可愛がっていたのは親父でした。いつもひざの上にだっこしていました。
「自分の手で子どもを育てていく」と強い姿勢で、一人でアパートを借りて生活を営んでいました。当時私たちのところに妹が来て、「子どもを預かってくれ」ということがありました。「妻が家で子どもの面倒を見るから昼間の仕事につきなさい」と意見したこともありました。
北朝鮮で一緒に暮らしたことのある地村富貴恵さんは、こう言っています。
八重ちゃんの思いは最初から最後まで子どものことでいっぱいでした。子どものことを話してくれるのですが、すごく辛そうに話すのです。私はどう声をかけたらよいのか分からなかったのです。
自分は末っ子なのでみんなが大事にしてくれたことを教えてくれました。特に「上のお兄さんには、子どもを見てもらったりして、とてもありがたかった」と言っていました。正確にはお兄さんの奥様に感謝していたようです。考えてみて、一層有難味がわかったようでした。
末っ子としてお父さんに愛され、母として二人の子どもを愛し、お兄さん夫妻に感謝をしていた八重子さんが、1歳と2歳の子どもを残して22歳で拉致されて、今61歳です。