緊迫する朝鮮半島情勢下での救出戦略ー東京連続集会95全報告
◆日本を射程に入れたミサイルを撃たれてもなかったことにした
西岡 アメリカは爆撃の準備をする。93年の5月には日本を射程に入れたノドン・ミサイルの発射実験が行われた。86年から始まった核危機の中で、拉致は表に出ないで日朝交渉が進む。ミサイルも撃たれる。最後にアメリカが軍事的圧力をかける。93年から94年にかけてそういうことが起きた。
日本はミサイルについては、93年の5月にノドン・ミサイルが撃ち込まれた時に何をしたか。なかったことにしたんです。発表しなかった。当時の宮沢総理大臣、河野官房長官は、「発表するな」と命令した。あまりにも安全保障上の危機だからというので、石原信雄官房副長官が意図的にリークした。
ご承知の通り、拉致についても88年に梶山答弁があったけれども、マスコミも報道しなかった。同じようになかったことにされてしまった。日本は目の前に危機があっても、なかったことにする。
アメリカは北朝鮮の核開発をやめさせる。そのためには爆撃の準備をする。融和的だと言われていたクリントン政権でも爆撃の準備をしました。当時はまだ原子炉は動いていたが、再処理施設は動いていなかったので、取り出された燃料棒を再処理施設に入れる前に爆撃してしまえばよかった。
惠谷 いや動いていました。
西岡 そうですか、私は島田洋一副会長が言っていることをとりました。事実関係を確かめます。しかし、寧辺の核施設だけを攻撃するということだった。それに対して、北朝鮮が全面戦争をしたら数十万の被害が出るだろうというシミュレーションはありました。そのシミュレーションはあったが爆撃の準備が続きました。
94年の5月、6月はものすごく緊張しました。アメリカの在韓米軍の家族は日本に引き揚げてきました。全面戦争になったら北朝鮮は細菌兵器を使うだろうということで在韓米軍兵士は天然痘の予防注射をしました。
そういう緊張が高まっている中、日本から多額のお金がいっている。朝鮮総連資金がいっている、と。これは現代コリア研究所が問題提起をし、内閣調査室が調べたところ、1800億円から2000億円の金と物がいっているという調査結果が出て、警察と税務署が動いて、「止めろ」というミッションが動き始めた。
特に39号室に入る秘密資金を止めるということと、軍事的圧力をかけると言ったら北は動きました。金日成が出てきて、カーターと会って、「核開発を凍結する」と言って、86年に稼働を始めた原子炉を止めました。
しかし、止める条件として「ただで発電所を作ってくれ、あれは発電用だったんだ」と言って2機で50億ドルの軽水炉を作ってもらうことになって、日本は10億ドル出すと約束して5億ドル出してしまった。
そしてプルトニウムはやめたけれど、濃縮ウラニウムの抽出を始めた。パキスタンから技術を導入したわけですが、第1回目の危機の時、日本は拉致もミサイルもいっさい日本のレッドラインを設定しなかった。アメリカに言われて、寧辺の原子炉を止めるということが当面のミッションだった。
それに総連の金を止めることも協力したし、アメリカが爆撃するなら在日米軍基地が使われるということについても協力の準備をしていた。そしてアメリカが「これでいい」と言ったら、総連のお金を止める作戦もストップしてしまい、逆に5億ドルというお金を北に出した。これが第一次危機です。
西岡 その後97年に家族会・救う会ができ、拉致問題を提起しました。2回目の核危機は2001年からです。