緊迫する朝鮮半島情勢下での救出戦略ー東京連続集会95全報告
◆2001年に始まる2回目の核危機
西岡 北の金日成が考えたのは、数十万人の韓国人や在韓米軍を殺すことはできるが、俺はしない。アメリカが本気になったら、北の首脳部を壊滅させることができる。そういう緊張関係の中で寧辺の原子炉を止めたんです。しかし金正日は二枚腰、三枚腰でパキスタンから濃縮ウラニウムをつくる技術を入れて、地下で濃縮ウラニウムの開発を続けていた。
濃縮ウラニウムは原子炉がいらないんです。遠心分離機と電気さえあればいいんです。だから衛星ではなかなか見つけにくい。そういうことをやっていた。つまり、戦争の危機になって譲歩すると言っても続けるくらい戦略的なことなのに、そういう点でも金正恩政権が今アメリカの簡単な圧力で核をやめるということはありえないということが言えます。
2回目の核危機が2001年に始まります。同時多発テロが起きました。その前から私と惠谷さんは、パキスタンの技術が北に入っているんじゃないかと議論をずっとしていたんですが、実は同時多発テロが起きた後、最初にアメリカが行ったテロとの戦争はアフガニスタンとの戦争でした。アフガニスタンにビン・ラディンの基地があったわけです。そこを叩く。そのためにパキスタンに米軍が入りました。パキスタンが事実上アメリカの同盟国になった。
パキスタンに入った米軍が何をしたか。パキスタンの核開発の父と言われるカーン博士などを徹底的に調べて、「お前たちはまさかビン・ラディンに核技術を出していないだろうな。一体誰が教えたんだ」と徹底的に調べた。
そうしたところ、リビアのカダフィ大佐とイランと北朝鮮の金正日に教えたということが明らかになった。それでカダフィ大佐はすぐ、「確かに技術をもらってやってました。でもまだ完成してません。壊します」と言って、全部見せて壊した。
それだけじゃなく、「アメリカのパンナム飛行機に爆弾をしかけたのは我々でした。補償します」と言って白旗をあげた。テロとの戦争の真っただ中で怒りまくっているブッシュ政権は、「テロ支援国家が核・ミサイルを持つことは戦争しても許さない」ということを分かってカダフィは白旗をあげたんです。
2002年1月に、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」演説という有名な演説をした。カダフィは入りませんでしたが、核技術をパキスタンからもらっている証拠をアメリカが得たので、北朝鮮がイラン、イラクと並んで入ったわけです。
特に北朝鮮は悪質で、94年に合意をして、アメリカからただで重油を毎年50万トンもらっていたわけです。これは発電所だと言って寧辺の原子炉を止める。電気が足りなくなる。「軽水炉が完成するまでの電気をどうするんだ」、「分かった」ということで、火力発電所で使う重油をただでやろうと。
アメリカは94年から2002年まで、ブッシュ政権の「テロとの戦争」の最中にも、毎年50万トンの重油をただで北朝鮮に提供していました。それをもらいながら、パキスタンの技術でアメリカ目で届く核・ミサイル開発を着々と続けていたということw、ブッシュ政権が完全に確実な証拠を握ったのが2001年の時です。