国際セミナー「緊迫する北朝鮮情勢のもとで拉致被害者救出を考える」全報告
◆アメリカが軍事的圧力をかけた時がチャンス
西岡 力(救う会会長)
そして国際情勢では過去に2回チャンスがあった。今は3回目のチャンスだと思っています。北朝鮮が一定の譲歩をする時を過去で振り返ってみると、いつもアメリカが軍事的圧力をかけた時です。
北朝鮮の核開発が発覚したのは1986年に寧辺に5000キロワットの原子炉ができて稼働し始めた時です。冷戦が終わってから、「自分の国を守るために核開発を始めた」と北朝鮮の「労働新聞」が言っているから、日本の多くの専門家はその「労働新聞」をそのまま言って、自衛のためだと言ってきましたが、それは嘘です。
なぜなら79年に工事が始まり86年にプルトニウムの抽出を始めたんです。それでアメリカが86年に、「寧辺の原子炉が動いている。プルトニウムができている。長崎型の爆弾ができてしまう」ということで、門外不出の衛星写真を日本に持ってきたりして圧力をかけようとした。
そしたら北朝鮮は金丸という政治家を平壌に呼んだ。核開発が進むとアメリカは日本と韓国と連携して圧力をかけようとする。北朝鮮はその足並みを乱そうとする。同じことが起きている。
金丸さんは核問題も言わなかったし、拉致問題も言わなかった。時の独裁者に1体で会えたというのに。金丸訪朝は1990年ですが、日本政府が国会で、「日本人が拉致されている」と北朝鮮という国名をあげて答弁したのが88年です。
その2年後に、与党と野党の金丸、田辺という幹部が呼ばれ、北朝鮮の独裁者に会えたのに、市川さんがここにいらっしゃいますが、市川さんについては国会答弁があったのに日本の政治家は出さなかった。
だから日本に(拉致に取り組む)体制ができていなかったのです。国際情勢には一定の条件があったが日本に体制がまったくなかった。最終的にアメリカが爆撃の準備をした時に、金日成が出てきて、「寧辺の原子炉を止めます」と言った。86年に稼働していた原子炉が本当に止まったんです。