国際セミナー「緊迫する北朝鮮情勢のもとで拉致被害者救出を考える」全報告
◆拉致40年の内30年は救出体制がなかった
西岡 力(救う会会長)
今拉致は40年ですが、40年の内、我々は今の10年間にどっぷり浸かっているので、このような会議が政府の関係者もいて、各党代表がいて開けるのです。そういうことが当たり前ですが、それでも解決できないから何とかしてくれと思っていますが、実は20年前に運動を始めた時は対策本部もなかったんです。担当大臣もなかったんです。
我々が、なけなしのお金で日比谷公会堂を借り、集会をした。先生たちもほとんど来てくださらなかった。安倍さんや西村眞悟さん、中川昭一さんや先ほどこの辺に座っていた先生たち何人かが、党内でも「お前ら何やってるんだ」と言われながら来てくださったのです。
そしてもう一つ強く言いたいのは、2002年に5人が帰って来た時にも、対策本部はできていませんでした。北朝鮮が拉致を認めたのに、被害者を救出する体制ができていなかった。できたのは第一次安倍政権の時です。15年前に5人が帰ってきましたが、できたのは10年前です。40年間の内、30年間は何もなかったんです。
でも最初の20年間は家族は政府を信じて黙っていましたが、20年前に家族会を作った。そして我々の第一の要求は、「政府に専門部署を作れ」でした。
そして今、国際情勢が3回目のチャンスを迎えています。ここで解決できなかったら、今(対策本部の)事務局長が座っていらっしゃいますが、私は許せませんね(笑)。
10年間政府に担当者がいて、外務省だけには任せられないということで、外務省以外にも全省庁から出てきてくださって、「犯罪」ということで警察の方もおられます。事務局長も警察出身です。
やはり犯罪という視点もあり、ただの外交交渉ではないということで10年前にできて、そして国際情勢がここまで来た。これで勝てなかったら本当にどうすればいいんだろうと思ってしまいます。
しかしここまで来たと思っています。残念ながら、増元さんのお母さんには会わすことができなかったし、市川さんのお母さんは最初の頃鹿児島に行ってお会いしましたが……。しかしここまで来た。家族会ができなかったらここまで来れなかったと思います。今でも外交問題だろうと思います。
家族会の人たちは、特に早紀江さんたちは20年前、北朝鮮にいる家族が殺されるかもしれない。名前を出して訴えたら殺されるかもしれないとアドバイスをされている中で、でも政府だけでは信用できない。世論に訴えようとして家族会を作ったわけです。
そして2000回以上国内で講演をしたから、お父さんは今活動ができないくらいくたくたになってしまった。
国際的にも、先ほど古森さんが紹介されましたが、何回もアメリカに行きましたし、ジュネーブにも行きました。韓国にも行きました。私はルーマニアにも行ったし、タイにも行きました。世界中の拉致被害者を調査したのも我々です。その後国連が動いて報告書を書かれたわけです。
ここまで来た。何もしなかったら我々はここまで来れなかったという意味で、絶望だけしているわけにはいかないと思います。