家族会・救う会の「今後の運動方針」と北朝鮮情勢-東京連続集会100
◆家族はもう待てない状況
西岡力(救う会会長)
いつもお集まりいただきありがとうございます。今飯塚さんから概要の説明がありました運動方針のお話をします。
前半部分の、「これ以上待てない!政府に今年中の全被害者救出を再度求める!」との所は家族の心情からしても、「もう待てない」ということです。ご承知の通り、12月に増元信子さんとジェンキンスさんが亡くなられたこともあり、我々も後がない、追い詰められた気持ちでいます。
そして、これもご承知の通り、横田滋さんは、対外活動がいっさいできなくなっています。週4回リハビリに行っていますが、家にいるときは早紀江さんが介護しているということで、早紀江さんもお父さんがデイケアに行っている時だけ活動ができるという状態になっていて介護疲れが心配です。
椅子に座っている時は立ち上がることができるそうですが、床に尻もちをついてしまうと自分で立ち上がることができなくて、早紀江さんは、滋さんが重いこと、介護の技術を学んでいないこともあって起こすことができず、近くに住んでいる息子さんに電話し、息子さんがいない時は、マンションのあさがおの会の方に来てもらって起こしてもらうそうです。
去年の春の国民大集会で言いましたが、滋さんがここまで衰えたのは、今飯塚さんは「1年経てば自然に歳を取る」と言われましたが、それだけではなくて、飯塚さんもまさにあてはまると思いますが、家族会の代表として、自分の生活とは別に運動の先頭に立つことで身を削ってきたことの結果、対外活動ができなくなったのではないかと思っています。
滋さんは、ほっとくとどんどんスケジュールを入れてしまう人で、「倒れますよ」と言ってもなかなか入れるのをやめてくれなくて、早紀江さんと夫婦喧嘩をしていたこともありましたが、今は逆にスケジュールを入れられなくなって、「神様が休めということなのかなあ」と言っておられました。
しかし、20年間運動をしてきた結果、運動の先頭に立っていた人が衰えてきたのも事実です。
飯塚さんは先ほどおっしゃいませんでしたが、飯塚さんも去年の夏入院をされています。体調も万全ではなく、「代わる人がいればいつでも代わりたい」とおっしゃっているんですが、家族会の中でも代表の仕事を担う人がいなくて、飯塚さんに病身を押してお願いしている状況です。
有本さんのお母さんももう90を超えて、車椅子で動いているということですし、心臓が悪いのでいつ何が起きるか分からないので心配しています。
親の世代で、認定被害者のなかで待っているのは横田家と有本家だけで、その親の世代が運動の先頭に立てなくなったので、兄弟の世代で一番年長の飯塚さんが代表をしてくださっていますが、それも入院されたりしています。
もうこれ以上待てない。そして元気で被害者が帰ってきたとしても、待っている家族が健康なうちに再会しなければ、真の解決ではないということも運動方針に書き込みました。
そういうことが増元家ではもう起きてしまっているし、松木さんのところも、市川さんのところも待っていて亡くなってしまった。何とも言い難い悔しさと焦りのようなものを感じますが、しかし、できることを一つひとつやっていく以外に解決の手段はなく、一つだけ分かっていることは、活動を止めてしまったら解決できないということです。
天からスーパーマンが降りてきて、すぐ助けてくれるということはないんです。でも分かっていることは、やめてしまったら解決できない、会うことはできないということです。
いつも私は、「重い球を持って坂道を登っていくようなものだ」と答えているんですが、頂上まであとどれくらいあるか、正直言ってわかりません。しかし手を放したら鉄の球は落ちてしまう。元に戻ってしまう。そういうことは分かっています。手を離さなければ、一歩一歩頂上に向かって進んでいくことはできる。みんなで力を合わせれば、ですが。
それが分かっているので一緒に20年間戦ってきましたし、今年も、「もうこれ以上待てない」という運動方針を書かざるをえなかった状況です。