家族会・救う会の新運動方針と米朝首脳会談-東京連続集会報告
◆降仙(カンソン)で濃縮ウランを製造していた
西岡 力(救う会会長、モラロジー研究所教授)
しかし、去年のシンガポール会談の後、アメリカのメディアでは、寧辺で北朝鮮が見せた濃縮ウラニウム施設以外に、工場が別の所にあるという報道が出ました。一番最初は5月25日のワシントンポストでしたが、デビッド・オルブライトという科学国際安全研究所の所長が、脱北者とアメリカCIA等の情報から、「平壌近郊に秘密施設がある。約6000台の遠心分離器を保有できるレベルの大規模な施設と推定される」と言った。
そのオルブライト所長は7月10日の産経新聞で、「調達した遠心分離器の数量や西側情報筋の情報をもとに、北朝鮮が開示している寧辺とは別にウラン濃縮施設がある。北朝鮮の降仙(カンソン)という場所の地上施設で濃縮ウランを製造している。北朝鮮が2000年代初期に12,000の遠心分離器を調達した」と分析し、「内5000器は寧辺残りは降仙にある」と。
先ほど私は寧辺8000器というのは私の記憶違いで5000でした。その後米朝首脳会談があって、7月13日にディプロマットというアメリカの外交・安全保障の専門の、オンラインの雑誌で降仙濃縮ウラン工場の正確な位置と衛星写真の画像が公開されました。
平壌に近い平安南道千里馬郡にあります。ここは実は日本統治時代に三菱製鋼の工場があった。それが北朝鮮になった後、降仙製鋼所と改名された。1956年に金日成がそこを訪れて、増産運動をしろと言ったら、1年で年間6万トンの生産能力が12万トンになった。千里かける馬のようだと千里馬運動がそこから始まりました。工場の名前も千里馬製鋼所に変えろと金日成が命令した。
そこの敷地の中に、幅50メートル、長さ110メートルの平屋の工場が2003年から稼働し始めた。その工場の向かいには5つの工場が並んでいて、両端が事務所で真ん中の3つは住居だそうです。
私はある情報源からこういう話を聞いていました。2002年に寧辺の警備兵の一部が、新たに作られる濃縮ウラン施設に移った、と。さっき2003年から稼働したと言いましたが、2002年に警備兵が移った。それがどこなのか極秘だ。寧辺に残った警備兵から聞いた人から聞きました。自分たちも知らされていない、と。
先ほど言ったように、濃縮ウラニウム施設は地下に作れるんです。だから西側の情報機関はみんな地下だと思っていた。韓国の情報機関が泰川(テチョン)という場所だと。湖の中にある島の地下にあるという情報があり、人を入れてそこの砂と水を採ってきた。採ってきた人に勲章を与えたという報道が90年代にありました。
衛星放送で見ると鉄条網が張られていて、地下への入り口もあった。泰川には水力発電所もあるので電気もある。そういう所でやっていると思わせていて、実は平壌の近くの地上でやっていた。この降仙という情報が正しければですが。
実は私も情報源から、この情報は正しいと聞きました。つまり地下でやっていると思わせて地上でやっていた。木を隠すのに森の中を使った。製鉄所の中に新しい建物が一つできても、その横に寄宿舎ができても、製鉄所が増築されたのだろうと上からは見える。
そしてこれ見よがしに穴を掘って、ここでやっているようにした。トラックが出入りしている所を上から写るようにしたということです。ハノイの会談でトランプ大統領がこのことを出した可能性がある。もう一つ別の施設を出した。後で島田さんからアメリカの方ではどうなっているか聞きますが、そうしたら金正恩が驚いた、とトランプ大統領は記者会見で言った。
降仙については一部報道も出ていたのですが、ネットの専門雑誌だったり、産経新聞だった。私も月刊「Will」に書いたのですが、それらを北朝鮮の情報機関が重視していなかった。ばれていないと思っていた。