第48回「条件拉致 市川さん・増元さん事件」
みなさんごきげんよう。救う会テレビ、救う会全国協議会会長西岡力です。今日で第48回になります。令和3年10月9日に収録しました。
今日のタイトルは、「条件拉致 市川さん・増元さん事件」と題してお送りいたします。今日は改めて条件拉致についてお話しします。
◆日本人拉致の3類型
1.遭遇拉致
拉致を目的にしていない工作員らが、偶然遭遇した対象者に対して行う拉致
→寺越事件
2.人定拉致
事前に拉致対象候補者に関する調査を行ない、その人物を対象とすることを決定をした後に行う拉致
→久米裕、原敕晁、田口八重子、田中実、よど号拉致
3.条件拉致
「若いカップル」「若い女性」などという条件に合致する候補者を、その場で選定して行う拉致。事前に拉致対象者候補に関する調査を行なわない。
→松本京子、横田めぐみ、地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、曽我さん母娘、市川修一・増元るみ子
今日は最後の市川さん・増元さん事件についてお話ししますが、この条件拉致についてはこれまで「救う会テレビ」で何回もお伝えしてきました。
◆初めてのデートで拉致された
1978年8月12日土曜日、市川修一さんは職場の同僚に午後3時ごろ「恋人と吹上浜に夕陽を見に行ってくる」と告げました。市川さんは愛車「コロナ・マークII」で、近くに住む増元るみ子さんを迎えに行きました。るみ子さんも家族に、吹上浜に出かけると告げ、「遅くとも10時には帰る」と行って出かけています。二人の初めてのデートでした。 拉致現場である吹上浜に二人が出かけるのは初めてでした。二人の行動を観察していた者たちがいたとしても、この日の行き先は予測できません。一方、市川さんは同僚に、増元さんは家族に吹上浜にドライブに行くと伝えていました。したがって、2人がそれ以外の誰かにこの日のデートについて話していた可能性はゼロではないのです。
事前に被害者を選別して行われた人定拉致だと考えると、2人のどちらかを拉致しようと狙っていた犯人グループがこの日の予定を知って待ち伏せしたことになります。犯人は2人が初めてのドライブの予定を事前に話すほど親しい関係者に限られます。警察の調べや家族の記憶でもそのような怪しい人物は出てきていません。夕刻から夜にかけて海岸かその近くにいたカップルが襲われるという点は、他の条件拉致と共通しています。
◆愛車、カメラ、サングラス、財布等を発見
市川さんとるみ子さんの2人を乗せたコロナ・マークIIは県道を西に進み、吹上浜に点在する砂丘湖のひとつの「薩摩湖遊園」で停車しました。
「薩摩湖遊園」に立ち寄った2人は園内を散策し、持参したカメラでスナップ写真を写していました。園内の吊り橋の上や岩場で2人は交互に撮影したようで、園内でのスナップは6枚残されています。
その後、コロナ・マークIIは吹上浜キャンプ村(2014年4月に閉鎖)に至る小道を左折し、キャンプ村を過ぎて 自然にできた駐車場ロータリーの中央部で車を停めた。そして、2人は小径を歩いて登り、吹上浜の海岸に向かった、と推測されます。海岸に行く道が小高くなているのです。
海岸の背後にはクロマツの防砂林が広がり、吹上浜への出入口は限定されているため、まるで隔離されているような空間です。(動画の)〇印の所が駐車場ロータリーで、×印の所に市川さんの片方のサンダルが残されていました。
翌13日の日曜日、二人が帰宅しないので両家は吹上浜に捜索に来ました。駐車場ロータリーで、市川さんが愛したコロナ・マークIIが発見されたのです。その市川さんの愛車の助手席には、るみ子さんの手提げバックとカメラが置いてありました。バックのなかにはサングラス、財布、化粧道具などがそのまま残され、車内には荒された形跡はありませんでした。カメラには2人で写したフィルムが残されており、現像してみると15枚のスナップ写真がありました。
駐車場から吹上浜に出る小径に、市川さんが履いていたサンダルの片方がひっくり返って落ちていました。駐車場ロータリーから浜に行く小道は幅1mほどで、浜まで20?30mあり、その周りはクロマツの原生林となっています。サンダルが見つかった地点で2匹の警察犬は鼻を上げた。匂いがそこで切れたのです。この写真(動画)が吹上浜につながる小径です。今は小径の位置が少し変わっています。小径を抜けると、このような見晴らしのいい浜が出てきます。
◆沖合の小島に小船を隠し、ゴムボートで上陸、拉致
吹上浜の沖合12kmのところには、久多島という岩肌の小島があります。拉致現場の沖合に小島があるのは、小浜事件と同じです。条件拉致でアベックを拉致する場合は、工作員1人と戦闘員3人(案内組)で、彼らが潜入・上陸後すぐに、条件に適する対象者を見つけ出すというわけにはいかないので、潜入地点に数日間潜伏して対象者を探します。
それは蓮池さん、地村さんの話からも明らかです。曽我さんもそうでした。その間、ゴムボートを送り出した工作子船は、潜入地点近くの沖合に待機していなければならない。そのときに停泊するのが、沖合の小島の島影と考えられます。地村さんの時も島影に待機しています。蓮池さんと曽我さんの時は小島がなかったので、小船は工作母船の所に戻っていたと思われます。
久多島は吹上浜から見えます。私は惠谷治さんと一緒に、漁船をチャーターして、久多島まで行ってみました。吹上浜から漁船で20分くらいかかります。ゴムボートならもっとかかる。岩だけの島で人が登ることはできませんが、漁船の船長さんの話では、時々小さなイカ釣り船のような漁船が島影で休んでいることがあったそうです。そこに船がいても怪しいと思われないのです。
◆事件発生の前後に怪電波を傍受
実は、警察当局は事件発生の前後に怪電波を傍受していました。「南日本新聞」が2002年10月19日にスクープ報道しています。
「吹上浜で市川修一さんと増元るみ子さんが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された1978年8月、警察当局は、事件発生の12日前後約一週間にわたって怪電波を傍受していたことが南日本新聞の調べで分かった。怪電波は、笠沙町の野間池の沖合から発信されていたという」。
「怪電波は、日本の漁船などが発信する無線とは明らかに周波数が異なっていた」。その記事にも地図が出ていて、場所がだいたい分かるわけです。□印は野間池です。〇印が久多島です。電波が発信されたのが点線の〇印の所です。この辺りに母船がいて、小船が久多島の陰にいたのではないかと考えられます。
事件の日、現場沖に工作船が待機していたということです。2人の初めてのドライブの日時を事前に察知して工作船を北朝鮮から差し回していたとは考えにくいわけです。他の条件拉致と同様に海岸で襲われ、そのままゴムボートに乗せられ工作母船に連行されたのではないかと思われています。
この事件はまだ、市川さんと増元さんが帰ってきていないので、被害者本人から詳しい事情を聴くことはできないのですが、帰ってきた5人の話を総合して、それらと同じ時期のアベック拉致だということも含めて、「条件拉致」だったのではないかと考えています。
事態が動いた時に、真相は何なのか、そして条件拉致はどのくらいあったのか、人定拉致はどのくらいあったのか等を検討して、北朝鮮がこの次出してくるであろう報告が本当なのかどうかとの検証に、この調査結果を使いたいと思っています。
今日は救う会テレビ第48回、「条件拉致 市川さん・増元さん事件」と題してお送りしました。ありがとうございました。
以上