04_世界に広がる拉致被害者
世界に広がる北朝鮮による拉致被害(救う会作成)
全世界で起きた北朝鮮による拉致事件は、1970年代後半に集中しています。
事件発生時期が明確なタイ人、レバノン人、中国人、マレーシア人、シンガポール人拉致は1978年に起きています。フランス人、イタリア人、オランダ人、ヨルダン人、ルーマニア人拉致も70年代後半になされたことは証言などから明らかです。日本人拉致も70年代後半に集中しています。韓国でも1977年から78年に海岸で5人の男子高校生が拉致される事件が連続して起きています。
元北朝鮮工作員の安明進氏は、「拉致は遅くとも1960年代からあったが、本格化するのは70年代中頃からだ。74年金正日が後継者に選ばれた後まず手を伸ばしたのが資金、人材のすべてが優先的に回されている朝鮮労働党対南工作部門だ。金正日は工作部門を掌握するために、74?75年にそれまでの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、『工作員の現地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ』という指示を出した。その指示により、日本人をはじめとして韓国人、アラブ人、中国人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学で、金正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくようになったかという例として学ばされた」と証言しています。北朝鮮の独裁者金正日こそが全世界で多くの人々を拉致した許しがたい国家テロの首謀者なのです。
外国人拉致に多数の証言
北朝鮮には4人の脱走米兵がいました。それぞれの妻となった人たちは、いずれも拉致された女性たちでした。タイ人のアノチャさん、レバノン人のシハムさん、ルーマニア人のドイナさん、そして日本人の曽我ひとみさんです。帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキンスさんの証言で、これらの拉致が明らかになりました。タイ人のアノチャさん、レバノン人のシハムさんの家族は、国民大集会に参加して救出を訴えています。彼らの子どもたちも北朝鮮で自由を奪われたままです。
タイ人のアノチャさんと同時に、マカオでマカオ人(中国人)2名が拉致されています。北朝鮮に拉致され、その後逃げることに成功した崔銀姫さんは、マカオ人の孔さんと親しくつきあっていました。また、シンガポールでは、シンガポール人1人とマレーシア人4人が一緒に拉致されています。マレーシア人の1人をジェンキンスさんが目撃したと証言しています。崔銀姫さんもマレーシア人拉致について聞いています。
レバノン人拉致被害者は、1979年に救出されましたが、その直後に、レバノン政府の聞取り調査を受けています。彼女らがヨーロッパ人拉致について証言しています。彼女らはスパイ訓練施設に入れられました。そこには全部で28人の女性がおり、フランス人3人、イタリア人3人、オランダ人2人、その他中東や西ヨーロッパからの女性たちが含まれていた、とのことです。従って、救う会調査の、12の拉致の可能性のある国の数はまだ増えるかもしれません。レバノン人4人のうち、シハムさんだけは妊娠していたため、救出後、北朝鮮に戻ったまま帰れなくなっています。崔銀姫さんは、「招待所の中だけを巡回する理髪師の男性」からフランス人拉致について聞いています。また、北朝鮮で拉致被害者である可能性が高いヨルダン人にも会ってるということです。大韓航空機爆破事件の犯人である北朝鮮元工作員金賢姫さんも、「拉致被害者を収容する施設に勤める世話係の女性」から、外国人拉致について聞いています。