第3部 北朝鮮による拉致の全貌(2)
3-6 西岡 力・救う会常任副会長・救う会拉致問題研究プロジェクトリーダー・東京基督教大学教授
日本人拉致の全体像—現時点でわかっていること
はじめに
救う会拉致問題研究プロジェクトは、北朝鮮による拉致の全体像に迫るため、拉致の?時期、?命令者、?実行機関、?目的、?規模、などについて調査、研究を重ねてきた。
拉致の起源とも言える朝鮮戦争中の拉致については、すでに「韓国戦争拉北者事件資料院」(李美一理事長)によってかなりの研究が進み、同資料院は2006年9月『韓国戦争拉北者事件資料集1』を出版してその成果をまとめている。
韓国における朝鮮戦争休戦後の拉致については、拉北者家族協議会(李玉哲会長)が2003年に『拉北者人権報告書2000?2002』を出しているが、運動の記録的性格が強く、実態の解明はあまり進んでいない。そこで、第2回国際会議では、この問題にくわしい洪熒早稲田大学研究員に報告の提出をお願いした。
76年の金正日の拉致指令「外国人教官を連れてこい」
昨年の会議でも議論されたが、全世界規模の大規模で組織的な拉致は1976年、金正日が出した拉致指令「工作員の現地化教育を徹底して行え、そのために現地人の教師を連れてこい」によって行われた。この点については、本プロジェクトは、拉致指令を金正日政治軍事大学で学んだ元工作員安明進氏からの聞き取り、76年当時現役工作員だった申ピョンギル氏の著書『金正日の対南工作』の具体的な記述のほか、連絡部元工作員金東赫(仮名)氏、作戦部元工作員全忠男氏などからも確認を取ることが出来た。
日本政府認定拉致被害者17人は金正日拉致指令の直後である1977年から1983年の間に拉致されている。中国人、タイ人、レバノン人、ルーマニア人、フランス人、イタリア人、オランダ人、シンガポール人、マレーシア人、ヨルダン人の拉致もすべて1978年頃に起きている。韓国でも、1977年、78年に海岸から5人の高校生が拉致され、78年にはヨーロッパ旅行中の教師が拉致されている。
教官にする目的で拉致された人数は40から60人か
1970年代後半、元山連絡所に所属して韓国や日本に潜入をくり返していた元作戦部工作員A氏の証言によると、金正日の拉致指令後から80年代初めまで、日本侵入を担当する清津連絡所は拉致のためにフル稼働したがそれでも足りなくて、元山連絡所の3分の2の工作船と工作員が日本潜入に動員されたという。
大韓機爆破テロ犯金賢姫は、まさに金正日の指示に従い作られた「日本人化された工作員」だった。彼女は1980年に平壌外国語大学在学中に党に召還され、対外連絡部の工作員となる。工作員養成教育の教官は彼女に、「お前たちは初めてのケースだから教材集めに苦労した」と語った。金賢姫の同期生は彼女を入れて8人(男6,女2)だった。彼女は田口さんと約2年、1対1で教育を受けるから、毎年8人が日本人化教育を受けたとすれば、この時点で16人の拉致された日本人が教官をさせられていたことになり、その配偶者まで計算すると約30人となる。
安明進氏は金正日政治軍事大学で教官らから日本人教官は約30人いると伝聞しているから、ちょうど計算が合う。また、安明進氏は拉致してみたが能力・教育程度不足や精神的不安定などのために教官として使えなかったケースもあったと、やはり同大学内で伝聞している。教官採用率が7割だとすれば70年代後半から80年代初めにかけて集中して拉致された日本人は45人程度、5割だとすれば60人程度が「教官」と「その配偶者」として拉致された計算になる。
80年代後半からの状況
それでは金正日の指令による「教官」拉致が一段落した80年代後半以降はどうだったか。1985年に辛光洙が韓国で逮捕され「背乗り(身分盗用)」のための拉致が暴露され、1988年には金賢姫が日本人拉致の実態を自白した。これらにより、「秘密隠蔽」拉致は別にして、「背乗り(身分盗用)」拉致や「教官」「配偶者」拉致は減少したか、なくなったと現段階では推定できよう。もちろん、この点についても確実な証拠が出てくるまで断定的なことは語るべきでないだろう。
90年代にはいると、中朝国境付近で脱北者を助けたりキリスト教を北朝鮮に伝播したりして金正日政権の土台を揺るがす活動をする韓国人牧師が拉致されている。金東植牧師は2000年1月に中国延辺から拉致されており、これが確認されている拉致の一番新しいものである。なお、金牧師は米国永住権者で第2回国際会議に参加された奥様は米国国籍である。
76年以前の拉致の実態
それでは金正日の指令以前には拉致はなかったのか。そうではない。すでに1963年の寺越事件が明らかになり、1960年代の拉致の存在は証明されている。本プロジェクトでは、76年以前の拉致について、膨大な資料と情報を集め検討を続けてきた。本日の会議の恵谷治報告はその一端を紹介したものだ。
1945年から1960年までの時期においては、今のところ日本人拉致は確認されていない。この時期に日本に侵入してきた工作員はみな、植民地時代に教育を受けた者たちで、彼らが対日工作の一線で活動していたときは、教官確保のための拉致は必要ない。しかし、秘密隠蔽型の拉致はこの時期にも発生していておかしくない。朝鮮戦争中に工作員が日本から拉致する場面を描いた映画が作られているという証言もあり、今後も情報収集を続けたい。
1960年代から1976年金正日の拉致指令までの期間には、日本人拉致が行われたことは前述した寺越事件によって分かっている。寺越事件は党作戦部清津連絡所所属の工作員呉グホによってなされたもので、呉はその後、金正日政治軍事大学の教官となっており、自分たちは金正日指令前から日本人拉致を行っていたと同大学で安明進氏らに話している。
恵谷報告にあるとお李1969年、金日成が党の対南工作部署に「必要なら日本人を包摂工作し拉致工作もすることもできる」と教示している。ここで言われている「必要」の内実はいまだ完全には明らかになっていないが、第1に「背乗り(身分盗用)」拉致が想定される。恵谷報告にあるとおり一番早く確認されている「背乗り(身分盗用)」事件(岡本事件)と、「背乗り(身分盗用)」拉致(小熊さん拉致未遂)の犯人の工作員は両方とも60年代末ころに日本に入国している。
この頃日本に入ってきた工作員はやはり植民地時代に教育を受けた世代で、「教官」拉致はまだなかったと推定される。
第2に、北朝鮮が必要とした技術、技能の持ち主を拉致したケースが想定される。しかし、いままでのところこのケースは、日本人拉致では確認がされていない。安明進氏元工作員らもこのケースの拉致は聞いたことがないという。韓国ではこのケースに当てはまる1978年の映画監督と女優拉致があった。今後も注意深く情報収集が必要だろう。
結論
これまで明らかになっている、拉致の目的は次の6つに分類できる。
1.秘密隠蔽のため
2.背乗り(身分盗用)のため
3.工作員の現地化教育の教官とするため
4.拉致被害者などの配偶者とするため
5.特殊技能者(専門家)を必要とするため
6.北朝鮮に有害な人物を除去するため
この分類を使って、時期別に日本人拉致について検討しよう。
・朝鮮戦争中野1950年代にも日本人が拉致された可能性はある。特に、「1.秘密隠蔽型」拉致はこの時期にも十分可能性がある。
・1960年代にはすでに、「1.秘密隠蔽」拉致である寺越事件が起こされている。1969年には金日成の日本人拉致教示があった。1960年代末から70年代初めにかけて「2.背乗り(身分盗用)」拉致がなされた可能性はかなり高い。
・1976年に金正日が「工作員の現地化教育の教官を拉致せよ」と指令し、70年代後半から80年代初めにかけて全世界で大々的かつ組織的に「3.教官」、「4.配偶者」拉致がなされた。
・その後も、「1.秘密隠蔽」拉致は常になされていた可能性があり、90年代にはいると韓国人牧師らが「5.有害人物除去」拉致の犠牲になっているが、日本人の被害は確認されていない。
・「6. 特殊技能者(専門家)」拉致は、朝鮮戦争中の韓国人拉致が典型的ケースであり、78年の韓国人映画監督・女優拉致もこれにはいるだろうが、日本人拉致でこのケースが存在するかはいまだ明らかでない。
・元人民軍総政治局の貿易商李政鉄氏の証言によれば、日本人拉致被害者の総数は北朝鮮が認め他13人を遙かに上回る60人を超える。金正日はその事実を知りながら意図的に少人数しか認めなかったのである。
司会
櫻井よしこ
次に、特定失踪者問題調査会専務理事の真鍋貞樹さん。以上の「拉致の全貌」に関する意見を、特定失踪者のことも含めて報告してほしい。
3-7 真鍋貞樹・特定失踪者問題調査会専務理事
小さな情報からばらばらな拉致事件が線でつながるケースも
事例を紹介し、拉致の全貌の一部を紹介したい。
結論めいたことを暫定的に言いたい。先ほどの西岡報告、惠谷報告などにつき、我々の認識を申し上げる。
調査会としては、ちまたで言われているように、「70年代から80年代という限定的な期間にのみ拉致が行われた」のではないということを前提に調べている。70年代以前、80年代以降についても、「可能性としてある」ことを前提に調べなければならないという立場で取り組んでいる。可能性の問題なので、調べてみなければ分からない、ということになる。そういう観点から色々な情報等を集積して調べていこうというスタンスを持っている。
第2に、先ほどの李政哲氏の貴重な報告でも明らかなように、日本人の拉致が政府認定の17人であるはずがない、ということだ。早く認定してほしい人が山ほどいる。政府関係者にはぐずぐずしてほしくない。
第3に、現在拉致された国は12か国とされているのだが、これに留まらない可能性は明らかだ。身近なところでは、ロシアからの拉致の可能性が高い。そういうことも視野に入れて調査し、拉致の全貌について解明していきたい。
そして大切なことは、北朝鮮による拉致の全貌は、まだ一部しか分かっていないということだ。誰が、いつ、どんな処で、何のために拉致されたのかが分かっている例はほとんどない。例えば、政府認定の拉致事件の内、市川さんと増元さんの事件は、どのように、だれが拉致したのか分かっていない。松本京子さんについては、警察は分かっているようだが一般的には明らかにされていない。洪先生の話ででてきた、北朝鮮の工作機関・朝鮮総連につながる留学同、洛東江、ユニバーストレーディングで出てきたドミトルなどの非公然組織の実態もまだ明らかになっていない。
そうしたことから見ると、拉致が始まって何十年になるのか分からないが、少なくとも40年くらい、50年くらい経った今でも、北朝鮮による拉致工作の全容はほんの一部しか分かっていないと言える。それが少しずつ、研究者や救う会の皆様の努力で判明しつつあると思っている。
最後に、我々は、小さな情報から拉致の実態の解明に結びつける作業を進めているが、今感じているのは、拉致は部分、部分で行われているものだが、それが実は細い線で結ばれているのではないか、ということだ。事件はばらばらだが、線で結べば細い線でつながるケースがあると認識している。その線を作る作業を、今行っている。
その実例として、1960年2月27日に、秋田市内で失踪した看護婦の木村かほるさんのケースだ。記者会見で発表したが、地元では関心を持たれたが、全国的には関心を持たれていない。木村かほるさんは1960年に突然病院から姿を消した。一方1982年に、タイ人の10人のホステスが拉致まがいでだまされて北朝鮮に連れていかれた。その10人の女性たちは、平壌の近くの招待所で1か月か2か月日本語を教わった。その日本語の先生が誰かということで彼女たちに聞き取りをした結果、木村かほるさんの可能性が高いという結論が出た。色々な人物像の状況から、私としては木村かほるさんに間違いないとの確信を持っている。
木村かほるさんについては別の情報もある。現在も北朝鮮で元気にくらしているということだ。未確認だが、木村かほるさんについては北朝鮮の大学や研究所で、工作員や一般の学生に対して日本語を教えていたという情報もある。そのため田口八重子さんが日本人化教育をした金賢姫に日本語を教えていた女性である可能性がある。金賢姫は日本語を大学でしっかり勉強していた。田口八重子さんは日本語ではなく、日本人化教育をしていた。従って日本語をしっかり教えたのは別の女性ということだ。その女性が木村かほるさんである可能性がある。金賢姫が記した日本語の先生の人物像とだいたい一致しているので、この点を調べていきたい。
タイ人ホステスの事件は意外な展開を見せた。どこで働いたかというと平壌の鞍山閣というレストランだ。そこで誰が働いていたかというと、金正日の料理人の藤本健二さんだ。藤本さんが寿司屋で働いていた所に、タイ人の女性たちが連れていかれた。
鞍山閣を経営していたのは日本の企業で日隆商事だが、現在倒産している。日隆商事は合法的なビジネスをしていたが、そこに紛れて来たのが金世鍋だ。金世鍋は日隆商事に合法的に招かれて日本に来て久米裕さんを拉致した。そして金世鍋は田口八重子さんのお店に顔を出していたということを辛光洙の部下だった方元正から直接飯塚さんと私が聞いた。要するに、1960年当時の失踪である木村かほるさんのケースが、田口八重子さんの事件、久米裕さんの事件へとつながっていく。タイ人女性が見た人が本当に木村かほるさんなのかどうかは、まだ絶対間違いないとは言えないが、検証していかなければならない。このように小さな情報から拉致の実態を解明していかなけれないけないと思っている。
改めて結論を言えば、拉致の全容で分かっていることはまだまだ一部に過ぎないということだ。
【追加発言】
櫻井よしこ
それぞれの報告の内容は背筋が寒くなるような驚くべき内容ばかりであったと思う。追加発言があれば。
洪 熒 金正日テロ体制をどのように見るべきかで、いつも感じるのは慎重な証拠主義というのは真相を隠蔽、縮小することになるのではないかと思う。冷戦時代のテロ犯罪は、彼らはできるだけ証拠を残さないようにしたわけで、これは刑事事件の裁判でもない。テロとの戦争だから科学的にメカニズムを究明するのは大事だと思う。普通の刑事裁判のように証拠主義になると、実際にあった犯罪も証拠がないから認められないということになるのではないか。
もう一つは、あまりにも亡命者の証言に頼りすぎると、北朝鮮は嘘を隠すためにすべてを隠してしまった。公式的には金正日の奥さんが何人で子どもが全体で何人か分からない。研究者が調べた結果を皆さんにこういう絵を見せているだけで、「本当に見たのか」、「ここで証言できるのか」などと追い詰めていくと、結局犯罪を縮小することになる。李政哲さんの証言については、果たして7人を集めて会議をしただろうかという疑問もある。それはもちろん伝聞なのだが、間違って伝えられるとか、はっきりしていないことを自分が信じてしまうこともあると思う。
北は、工作員だけでなく、冷戦時代は普通の外交官も自分の名前でパスポートをとっていなかったようだ。黄長燁先生が亡命した後、北は対南工作の幹部の名前を偽名から本名に変えた。もう自分の名前を知っている人が亡命したのだから。こういうことを見ると、北で生活した人でも、本当に何が真相なのか分からない場合があるので、専門家がもう少し冷静に突き止めていく必要がある。あまり亡命者の証言に頼るのはよくない。
惠谷 誤解のないよう一つ付け加えたい。洪さんが言わんとすることは、金正日が7人を呼び集め機密情報をそこで話をさせるかということだ。例えば、国家保衛部の情報を党連絡部の人間に聞かせることはありえないだろう、ということだ。それはよく分かる。7人が参加したことを彼は聞いている。そのことには間違いがない。しかし、個別に集めたことを一同に集めたと聞き間違えたかもしれない。あるいは、あまりありえないが、金正日の秘書長が呼び集めた可能性も考えられる。その時も情報が隣に伝わる。情報の統制にうるさい国だから、というのが洪さんの疑問であって、個別に呼ぶ、大事なことはどういう状況でそういう話をしたかというよりも、金正日が各部署に聞いて先ほどの数字が出てきたということだ。
西岡 その点につき昨日も議論した。黄長燁先生の話などからして、金正日は大変用心深い男で、部下は1対1で情報を上げるが、横に情報を共有するようにはしないという一般的特質があることも確かだ。しかし、李さんの証言自体については疑問の余地はない。彼が聞いたということと、聞きうる位置にあったということは確認した。しかし、今の段階ではそれ以上は言えなくて、今後も研究したい。
洪 私も李さんの証言を否定的に言ったのではない。拉致問題全体についてのことだ。
真鍋 調査会も脱北者からたくさんの証言をいただく。非常に有意義な情報を得られたと同時に、何回もだまされた。偽写真も偽情報もつかまされた。だから脱北者の情報は、正しいとか間違いとか決め付けてはいけない。どんな情報もきちんと検証すべきだ。
櫻井よしこ
皆さんの話を伺うと、北朝鮮が建国以前から拉致をやっていた。そのためあらゆる汚い手段を使ってきた。それに対しわが国政府がたった17人の認定で終わっていてその先にどうしても進まない。しかも、今、北朝鮮と米国との間の動きに影響されて、福田政権がきちんと対応しているのかどうか極めて心もとないところがあることが明らかになったと思う。この小さな事実を積み重ねて、それを政府にきちんと伝え、国民の皆さんとも共有して、本当に全員を救い出す決意を固める必要があると思う。ここでコーヒーブレイクにしたい。