金賢姫氏の書簡全訳
救う会は、金賢姫が10月、李東馥北朝鮮民主化フォーラム常任代表に出した書簡を
入手し、翻訳作業を進めていた。約2万6千字の長文ではあるが、貴重な資料なので全
文を翻訳した。
これを読むと、
1, 大韓機爆破テロ事件をねつ造だとする韓国内の情報機関、テレビ局、市民団体の常
軌を逸した活動と、
2. それにより金賢姫がいかに苦しめられてきたか、
3. いま、金賢姫がその実態を公開することで自分を苦しめた勢力に正面から対決して
いる姿がよく分かる。
金賢姫が「大韓航空機爆破事件が金正日の直接の指示による国家テロだ」という真
実を韓国社会に認めさせるために戦う姿勢を失っていない以上、近い将来、同じ金正
日の指示による国家テロである拉致事件についても、新たな証言をしてくれる日が来
ることはまちがいないだろう。
その際、田口八重子さんの家族との面会も実現することと期待する。
北朝鮮元工作員、金賢姫の書簡全訳
翻訳・西岡力
李東馥北朝鮮民主化フォーラム常任代表様
この夏は本当に蒸し暑かったです。十月の終わりに吹く冷たい風は秋の気配をはっ
きりと感じさせます。
こんにちは。
私はKAL 858機爆破事件の張本人金賢姫です。私は代表に、1972年11月南北調節委員
会の南側使節団として平壌に来られた時、花を渡す子どもとして参加して初めてお目
にかかり、ソウルにきて代表が安全企画部特別補佐官としていらっしゃる時に二回目
にお会いしました。代表と私とは特別なつながりを持っていますので、こちらから訪
ねてごあいさつしなければならないのが当然な道理ですが、それができなくて申し訳
ありません。
私は月刊誌やインターネットを通じて、代表が北朝鮮民主化のため活動される姿を
見させていただきました。最近、MBC番組「PD手帳」が放送した狂牛病問題に関連して
記者会見をなさるなど代表の消息に接しています。
-手紙を書くことになった動機
私がここ韓国に定着して生活してすでに20年余りの歳月が経ちました。私は1997
年12月に、それまでのすべての社会活動を完全に止めて結婚して二人の子供の母とし
て平凡な生活をしてきました。
私は私のせいで深い心の傷を負った遺族の方たちがこれ以上、傷つくことがないよ
うに、世の中とは距離をおいて一日一日、懺悔しつつ静かに生きてきました。
しかし、5年前の2003年ごろ親北性向の政府ができてから、世の中は私を静かに放置
してくれませんでした。KAL機事件のねつ造説と陰謀説がこれまでのどの時期よりも大
きく提起され、MBCなど公営放送社がこれに便乗して,KAL機事件の実像を否定的に放送
する残念な事態が発生しました。
私は代表が2003年11月、PD手帳「16年間の疑惑,KAL機爆破犯金賢姫の真実」を担当
したMBC教養製作局崔震溶責任プロデューサーに送った手紙を読ませていただきました。
崔プロデューサーが「張基栄に花束を渡した少女が金賢姫ではないことに判明した」
としたことに対する代表の丁重な反論でした。
そして、代表が2007年10月国家情報院の過去史委員会のKAL機事件調査結果発表に対
して、「晩時之歎」とされた文章を読みました。
私は代表が、私とKAL機事件の実像を立証するために多くの努力をしてくださったこ
とに対して感謝申し上げます。
しかし、親北左派らは代表の証言を拒否し、私は彼らから過去の政権の間ずっと
「にせ物だ」「嘘をついている」として非難を受けなければならなかったし、国家情
報院の過去史委員会からは十数回の調査要求を受けなければなりませんでした。
そして、MBCとSBSなどテレビ局製作陣らは私の家を襲撃して撮影したものを放送し
て露出させるかと思えば、国家情報院と警察当局は私と私の家族を自宅から追い出す
という、本当有り得ないことが発生しました。
私はその時からいままで追い出され逃避生活をしてきました。事件の唯一の証人で
当事者の私が体験しなければならなかった多くの苦難と、実際にその陰謀がどのよう
に展開したのかに対する私の意見などを代表に詳細に申し上げて、御支援をいただき
たくこの手紙を書かせていただきました。
-疑惑の事件
2003年10月になり、私の身辺でおかしなことが起きました。国家情報院の某職員か
ら、国家情報院内部が騒々しいから外国に移民に行くことを勧められました。担当職
員からは電話で数十回にわたってKAL機事件に関する質問を受けました。彼は私に痛恨
の過去の記憶を思い出させました。私と関連して国家情報院の内部でなにかが起きて
いるようでした。
そして、担当警察幹部からは、2年ほど他地域に居住してくれと要求されました。彼
はその理由については何の話もしませんでした。
その年10月下旬頃、私の家の玄関に疑わしい二種類の外国産牛乳が配達され、その
配達物は何日間かそのままその場に置かれたままでした。
その時期、KBS取材記者らが私の居住地周辺を何日の間徘徊して取材活動を熱心にし
ていました。しかし、私は国家情報院から彼らの取材活動について、事前に通報され
ませんでした。
その年11月上旬頃、カソリック司祭団115人が、一週間後にはカソリック神父202人
が貞洞聖フランチェスカ会館で、KAL機事件ねつ造疑惑を提起して全面再調査と当時の
安武赫安企部長、李相淵次長、鄭亨根捜査局長ら捜査責任者に対する調査を求める記
者会見をしました。16年前の事件が本格的に水面の上に浮上し始めました。
このような周辺の状況で心が非常に不安定な時期に国家情報院担当官からMBCの番組
「PD手帳」に出演してくれという要請を受けました。私は彼の求めを断りました。彼
は再度、(国家情報院の)指揮部ですでに決めた事項であるからとその指示に従うこと
を強要してきました。しかし、私はこの指示を頑強に拒否し、それが大きい禍根にな
りました。
そうして11月中旬頃、この指示拒否のために私の夫が呼び出しされて京畿道盆唐の
某食堂で国家情報院の担当幹部と職員に会うことになりました。その場で彼は私の公
開出演は要求しないが、代わりに年末に庁舎内で天主教神父らと説明会を持つことに
約束をしました。 私の公開問題はこれで決着したかのようでした。
しかし、私の夫が担当幹部に会っているまさにその時刻に、夜陰に乗じてカメラを
持った記者数人が私の家を襲撃することが起きました。彼らは他でもないMBCのPD手帳
の取材記者らでした。私としてはとても緊張し当惑するしかありませんでした。国家
情報院は表で泰然として私に偽り約束をしながらから裏で攻撃をするのは、彼らの事
業計画がかなり切迫したように見えました。
MBC記者らに襲撃された翌日の明け方、私は彼らに引き続き苦しめられることを考え
て担当警察らと共に彼らの目を避けて幼い子供らを背負って、別の場所に逃避するこ
とになりました。ひどいことに夫が留守中である時に私の身辺に危ないことが起こり
ました。
私の家の周辺は蜂の巣をつついたように突然騒がしくなり、何日か後に今度はSBS取
材記者らが私の家周辺を取材して回りました。
私はその時から今まで満5年の間、住み慣れた我が家に帰ることができなくなり、こ
のように逃避生活をすることになるとは思ってもみなかったことです。そして、その
期間に私はにせ物と烙印を押され、不道徳な女とされてしまいました。
ところで、私の身辺に対する一連の疑わしい事件がどのようにして起きたのか、そ
の疑問を解くにはそんなに多くの時間は必要ありませんでした。
この一連の事件が「KAL機事件ねつ造疑惑」とかみ合わさり、その疑問を解く端緒に
なりました。
-わたしを自宅から追い出した勢力
私に突然まき起こった一連のこの疑わしい事件は、私を精神的に肉体的にますます
圧迫するための脅しのシグナルだということが分かったのです。
MBC取材記者に襲撃された翌日、私の臨時逃避場所の近くに尋ねてきた担当警察幹部
は私の夫に「新聞をむやみに開いて読まず、牛乳のような配達物は気を付けなければ
ならない。今回のことは鄭亨根議員を攻撃するためだ。某地域に二ヶ月程度、隠れ住
んでくれるか」と求めました。
彼はこれほどの精神的、肉体的衝撃を与えたのだから私たちが彼らの要求を素直に
受け入れると思ったようです。彼はMBC襲撃事件だけでなく自分の管轄区域内で起きて
いる放送3社らの取材活動について、そしてこれから展開する事態についてよく知って
いるようでした。
そして、彼が帰った後、私が彼らの要求に同意するか悩むのに必要な何日の期間が
また流れました。今度は国家情報院担当官から私の夫に電話がかかってきました。彼
は窮地に追い込まれた私に向かって、前回の約束とは関係なくMBC放送に出演するかイ
ンタビューを受けることを再度要求しました。ところで思いがけないことが起きまし
た。この問題を論争する過程でMBCの襲撃事件はまさに国家情報院によって行われたこ
とが暴露されました。
私の出演拒否によって国家情報院がかなり以前から企画し推進してきた事業計画に
支障が生じたのが明らかに見えました。工作員の目ではその事業が「工作」であると
いうことをすぐ識別することができました。
これにより、国家情報院が警察当局、放送各社と互いに連係して、工作事業を推進
してきたことを知ることができました。私について国家情報院は情報管理を、警察当
局は保安管理を各々分担して受け持っているから、私と関連した事業を推進するには
彼らは互いの協力体系を構築しなければならないのです。例えば放送各社が国家情報
院の黙認下に取材のため接近するのを、警察当局が積極的に対処して自分の職務に忠
実だったとすれば、事がうまく進まなかったと思います。
国家情報院が中心になって、警察当局、韓国の主要放送社と連係して、巧妙に私と
私の家族を自宅から追い出した本当悲しくあってはならないことが起きました。 それ
らの機関は皆、絶対互いに何の関連がないと開き直るでしょう。
私、金賢姫とKAL機事件について、約束でもしたように各局が偏向放送をするやりか
たは、彼ら放送各社が公営放送の義務を果たさないまま「私たちは政権の宣伝扇動媒
体に転落した」と自らが語ったものでした。
-表面に出てきた陰謀
カソリック神父らの二度の大規模な記者会見は一種の信号弾に過ぎませんでした。
KAL機事件の「ねつ造陰謀説」はMBC放送を最初にしていっせいに火ぶたを切りました。
砲撃の威力は本当にすごかったです。私を抱き込むのに失敗した国家情報院は、私お
よび過去の安全企画部を政敵に設定して攻撃し始めました。
彼ら執権勢力は軍事政権下の情報機関である「安全企画部」と脱軍事政権下での情
報機関である「国家情報院」を区分し、はっきり異なると認識しているようでした。
私は、国家情報院が自分のアイデンティティを忘却したまま、自身の前身である安
全企画部を攻撃する凄惨な光景を目撃することになりました。彼らは「背後」で指揮
し、自身の姿を隠したまま、放送、言論機関らを利用して宣伝させ、宗教・市民団体
の「前衛」組織を動員してデモや扇動をさせるなど色々な戦術を繰り広げました。
私は彼らによって自宅から追い出された状態で、疑惑と威嚇が激しく降り注ぐ砲火
の中を抜け出そうと必死の努力をしました。
放送3社は事件16周年を前後してMBCは「PD手帳」番組で、SBSは「それが知りたい」
で、KBSは「日曜スペシャル」2部作で「金賢姫、彼女は誰か」、「16年間の疑惑と真
実」、「金賢姫と金勝一、疑問の行程」などの題名で私、金賢姫の工作行程を中心に
取材し放送しました。
本当に嘆かわしいことこの上ない放送3社の製作陣でした。疑問を提起した事項はす
でに調査がなされ自分たちの放送ニュースや言論を通じて報道されたり、国家情報院
がそれらの調査結果を資料として保管中のものなどでした。彼らは私の海外工作行程
を追跡、取材し、あたかも新しく発見した途方もない事実のように今になって大げさ
に騒いでいました。
私が見るには、彼ら製作陣はすでに調査されている事実だとは分からないように疑
惑事項を熱心に取材して放送していました。もし私が彼らの番組に出演したならば、
まちがいなく私は「にせ物」にされてしまったことは明白でした。
そしてMBCとSBSは私の出演拒否が不満だったのか、私の居住地住民たちをインタビュー
し私の居住地を撮影して公開してしまいました。
国家情報院が私を自宅から追い出しながらも、放送3社を支援した番組の中身があのよ
うな「金賢姫金賢姫と安全企画部の失脚」だったという事実に、言葉を失いました。
MBCの番組が放送された次の日(11/19)にこのことを確認できることが起きました。
担当警察幹部が訪ねてきて、私に放送を見た感想を尋ねました。本当に火に油を注ぐ
彼の破廉恥な行動に私は耐えることができなくて「殺して下さい」と大声を張り上げ
たし、彼はそのまま上部に報告すると言ってあわてて帰りました。
警察当局は数日前MBC取材記者らの襲撃を避けて、私を明け方3時に避難させておい
て今になって彼らの放送の感想を尋ねにきたという事実により、彼らの図々しさと二
重的処置を知ることができました。彼らが私を逃避させたことは彼らのあらかじめ計
画された追い出し行為であったのです。
国家情報院と警察当局は、私が幼い子供らがいるからすぐに持ちこたえることがで
きなくなって降参すると確信したのか、互いに代わりばんこで私を深いどん底に追い
詰めました。彼らはすでに国家機関ではありませんでした。誰よりも法を厳格に遵守
して執行しなければならない彼らの反理性的行為は、自ら国家機関であることを放棄
するものでした。
そして、私は彼らから保護を受けるのではなく、すでにかなり以前から監視を受け
ていたことを悟ることになりました。その時から私は、国家情報院と警察当局、二つ
の公安当局と超緊張状態で対立し合う状況になりました。そして彼らの陰謀らが徐々
に表面にあらわれ始めました。
-放送3社らの連係疑惑
私は現在まで国家情報院と対立し合っているなかで、最近担当官から「私たち
はKAL機事件16周年をむかえて、放送各社の企画特集番組を支援しただけだ」という弁
解を聞きました。
彼ら放送各社から「にせ物」にされてしまった被害当事者の私の立場で見れば、国
家情報院は支援の水準を越え、ある政治的目的を持って番組を企画し、MBCを含んだ放
送3社がその支援を受けて製作、編集するなど互いに連係して共謀したことはが明らか
でした。
国家情報院が放送各社らと連係し共謀した理由として第1に、放送各社が少なくても
数ヶ月多ければ1年近く多くの人的物的支援を投資し製作、編集した番組がそろって事
件のねつ造疑惑を扱う内容の偏向的放送をしたという点です。 韓国を代表する公営放
送にもかかわらず、偏向しないで公正に製作、放送をしたとは到底見ることはできな
かったのです。
国家情報院が支援したという結果が約束でもしたように「安全企画部捜査がでたら
めだった、金賢姫は嘘をついた」と糾弾する特集放送でした。本当に国家情報院は放
送各社が製作、編集した番組の内容を放映以前に知らずにいたのでしょうか。放送各
社が情報機関の捜査の疑惑を辛らつに批判報道しているのに国家情報院が中断要求も
しないで、これを引き続き支援したことが私としては納得することはできなかったで
す。
二番目に放送各社らのねつ造疑惑提起に対して国家情報院は非常に消極的な態度で
対応していたということです。国家情報院は私金賢姫とKAL機事件に関連して、膨大な
量の捜査および情報資料を保管しています。それにもかかわらず、国家情報院の国内
担当次長の朴丁三は「KAL機事件が南北の対決時代、冷戦時代の遺物だった」というあ
いまいな言葉だけを語りました。放送各社らが提起している古臭い疑惑に対して国家
情報院は知らないふりをして捜査資料を意図的に提供しなかったのです。
いったい国家情報院が何を支援したのか、私としては分からなかったし理解できな
かったのです。
MBCに出演した朴丁三は、真実ゲームの一つの側に立ってその真実ゲームを楽しみな
がら、KAL機事件ねつ造疑惑を調整する実質的なプランナーでした。そうして放送各社
は私とKAL機事件を否定的に描写するのに大部分の時間を割愛しました。
三つ目、放送各社はKAL機ねつ造疑惑の提起とともに私の居住地を撮影し放送して露
出させてしまいました。 MBCは私の居住地を襲撃し、それでも足りなかったのか露出
までさせました。 SBSもこれに負けないように何日後にまた再び露出させてしまいま
した。
放送各社は私が自分たちの要求に応じないといって無力な罪人をむやみに路上に投
げ飛ばすことができるのですか。 国家情報院は放送各社の無謀な行為をただ眺めて沈
黙しました。彼らを制裁したり抗議し調査したという話を私は今まで聞くことができ
ませんでした。
これでも国家情報院は放送各社と共謀しなかったと言えますか。 本当に惨憺たる心
情です。
四つ目、放送各社が事件当時の検察と安全企画部の捜査責任者らに対する取材活動
をしなかったということです。放送各社は事件に対する各種の疑惑だけを提起し、そ
のような疑惑を最も速くて効率的、経済的に解決できる該当事件捜査の専門家かつ責
任者らを取材から除きました。そして遺族らの絶叫場面とインタビュー場面を放送し
つづけて、視聴者たちの感情を刺激するなど感性に訴えました。
放送各社は意図的に彼らを取材対象から除外させるほかなかったと思います。 なぜ
なら、彼らから事件取材意図に関して疑いをかけられることを恐れたためです。そし
て、国家情報院指揮部はその点を悩まないわけにはいかなかったでしょう。結果的に
後任者らが前任者らを調査する形になるのです。
調査能力をまともに持たない放送各社の製作陣が捜査専門家たちを取材すれば事件
疑惑が解消されてしまい、彼らの「疑惑の拡大強調」特集番組を放映することはでき
なかったでしょう。
最後に、国家情報院と放送各社は疑念に満ちたまなざしで無力な私だけ責め立てよ
うとしました。私は安全企画部在職時、北朝鮮のニュースを伝える番組、MBCの「統一
展望台」とKBSの「南北の窓」にしばしば出演して北朝鮮実状の情報を提供した事実が
あります。その当時放送各社の北韓局は開始初期なので今と違い北朝鮮関連情報が貧
弱な状態でした。
私が北朝鮮で生まれて生活しなかったとすれば、放送各社にて北朝鮮社会の実状を
どうして話せたでしょうか。社内で北韓局は教養製作局のねつ造疑惑の提起に対して
何の反応を見せなかったです。二つの放送会社の教養製作局は私が北朝鮮人だという
ことさえも疑惑の目で見ました。放送各社は私が「嘘をついている。毒薬アンプルを
かむこともしなかった不道徳な女」と猛非難をして私をとても否定的に描写しました。
それが私に対する特集番組の結論でした。
図体が大きい放送各社が私ひとりに関して困惑する姿が真にあわれにさえ見えまし
た。国家情報院と放送各社製作陣はテレビ画面の裏で軟弱な私に対して、私と視聴者
たちをあざ笑ってばかにし陰謀を計画していました。
私は、歴史は彼らを絶対許さないだろうし必ず報いを受けるべきだと考えます。罪
のない多くの生命を奪った航空機テロ事件を国家機関と公営放送機関が政治的に悪用
したことについて彼らは責任を負わなければならないでしょう。
-放送各社の問題点
MBC、SBS、KBSなど放送3社の製作陣は1988年1月の安全企画部の捜査結果発表文に焦
点を合わせて取材をし、疑惑を提起するのに余念がなかったです。彼らは捜査発表以
後に、初動捜査での失敗や不十分な事項に関して調査が続けられ言論に報道された資
料に顔を背け無視しました。これが彼らの最初の問題点です。
放送各社は、私の父、金ウォンソクが1987年当時アンゴラ駐在北朝鮮貿易代表部の
首席代表として勤務していたという安全企画部の発表が、完全な偽りだと明らかになっ
たと放送しました。
しかし、コンゴ駐在北朝鮮大使館の一等書記官として勤務し1995年3月亡命した高英
煥氏は「当時金ウォンソク氏は対外経済事業部アンゴラ技術協力団代表であった」
「当時は外交官ではなかったが政府官僚であった」と「月刊朝鮮」2001年11月号で話
しました。
果たして放送各社はこの記事を見なかったのでしょうか。 そして、私の父がキュー
バ駐在外交官として在職したという事実を証拠づける資料があるのにもかかわらず国
家情報院は彼らにその資料を提供しなかったです。 それは外交的な問題が発生するこ
とを憂慮してのことでしょうか。
二番目、放送各社は私が北朝鮮人であるという事実が明らかになる場所に対しては、
そろって取材することも言及することもありませんでした。
捜査結果発表資料に写真が大きく付けられている私の海外実習場所のマカオの居住
地と居住生活、中国光州の居住地に対して放送3社が同じように見過ごすことはそんな
に容易ではなかったでしょう。彼らはアジアの近いところを置いて、遠くヨーロッパ
と中東地域にまで行って私の行程を取材するのに多くの時間と経費を支払わなければ
なりませんでした。
三つ目、放送各社はある事項について事実と一致する部分と一致しない部分を全体
的に取り上げ一致しない部分について疑惑提起をしなければなりませんでした。しか
し、彼らは部分誤謬を犯し、その誤謬を無視しながら問題提起をしました。
放送各社は暗号手帳に記載されたブダペストの連絡先電話番号とベオグラード北朝
鮮大使館の電話番号2つが幼稚園、化学工場の番号だとして疑惑を提起しました。しか
し、すでに確認された2つの連絡先電話番号であるウィーン所在北朝鮮大使館とベオグ
ラード所在の工作員アジトの番号に対しても言及しなければなりませんでした。 4つ
の電話番号うち2つは合っていて2つは一致しなかったことを視聴者たちに理解させな
ければなりませんでした。 視聴者たちは一致する2つの電話番号について全く知らさ
れませんでした。
四つ目、放送各社は事件の事実関係全体を理解しようとせず、形式的であったり2次
的な問題の言葉尻を捉えて疑惑を提起して事件全体を否定しようとしました。
彼らは、私が工作任務を与えられ「敵の背後に出発するときに誓った誓約文」の内
容については無視したまま、文中の「キュユル(規律)」という語の綴りを取り上げ、
北朝鮮では使わない綴りだと疑惑を提起し、発表翌日の某朝刊新聞では「キュリュル」
と北朝鮮式に修正されて報道されたとして、ねつ造だと大騒ぎした。
しかし、彼らは私が工作員教育時に「以南化(韓国化)」教育を受けたという事実を
全く取り上げませんでした。「以南化(韓国化)」教育は、韓国に浸透して任務を遂行
する工作員の最も基本的な学習に属するものです。
その忠誠の誓約文は私が韓国の取り調べ室で韓国式綴字法に従って書いたので「キュ
ユル」になったのです。綴りを変えて書いたといっても私としてはおかしくはありま
せん。ひたすら疑惑提起者たちは「キュユル」綴りのために「忠誠誓約文」はなかっ
たと主張しています。しかし、私は明らかに東北里招待所で誓約文を朗読しました。
そして、放送各社は花を渡す少女の写真の耳を問題視して食いついてきて、私
が1972年11月南北調節委員会の会談の際、平壌近郊の力浦に臨時に用意された飛行場
で花を渡す少女として参加したという陳述に対してはいかなる言及もしませんでした。
その当時与えられた父の職業など周辺状況に関する資料も国家情報院に保管されてい
ます。
その当時、私はその場に明確にいました。花を渡す少女として出席したという私の
陳述が先にあり、それを土台にして2次的に捜査官らが写真を探してきました。 その
後、日本で私の陳述を後押しする写真が出てきて報道されましたが、彼らはその写真
を絶対に写しませんでした。むしろ「鄭ヒソン」という北朝鮮女性が出てくる朝鮮総
連の撮影資料を詳細に放映しました。
五つ目、放送各社は事件疑惑提起をしつつ、事件関連国の日本、米国、北朝鮮など
に対して外交的問題が発生する素地がある事項は取材、放送しなかったのです。
彼らは私が招待所で日本語教育を受ける時、共に生活した「李恩恵」に対してはそ
ろって口を閉じて無視しました。私が述べた李恩恵先生が「田口八重子」と同じ人物
であることを日本警視庁が明らかにしたので、彼らが同じ人物でないと疑惑を提起す
る番組にしたならば外交的問題で挑戦受ける可能性が大きいと思われます。
それから、彼らは捜査発表後、直ちに北朝鮮をテロ支援国として指定した米国に対
して非難したり問題を提起する番組としなかったのです。彼らは米国と日本の介入を
恐れたと思われます。
また、放送各社はKAL機事件が北朝鮮の仕業にもかかわらず、工作員である私に対し
て否定的に対応しながら、反対に北朝鮮当局には刺激をしないように用心深く対応す
るという二重的態度を堅持しました。 はなはだしきは、KBS柳ジヨル担当プロディー
サーは「金賢姫は平壌を出発しなかった」とまで主張しました。彼は私の偽造旅券を
偽造していました。これを通じて、彼らの放送意図をある程度知ることが出来ました。
最後の問題点は放送各社がKAL機事件ねつ造疑惑を提起するにあたり事実と違うとだ
け主張したのみで、実体的真実には全く接近しなかったということです。
彼らは彼らの番組の題名とかけ離れた話をしました。彼らは「金賢姫は誰か」と熱
心に海外を戦々恐々としながら私の行程を追跡、取材しながらも、何の結論を下すこ
とができませんでした。彼らは私を外界人の水準にしてしまいました。 私はその点が
ミステリーでした。そうすると、KBSは2005年新年特集で解放60年「10大ミステリー事
件」項目でKAL機爆破事件が3位を占めたと自ら発表するに至りました。
-「前衛」組織と嘆願書提出
MBCがKAL機事件ねつ造疑惑を放送して四日後の2003年11月22日頃、国家情報院捜査
局長など5人は小説「背後」(KAL機事件ねつ造説を主張し、各社のテレビ番組に強い影
響を与えた本・訳註)の著者、徐ヒョンピルと「蒼海」出版の全ヒョンベを相手に出版
物による名誉毀損容疑で民・刑事告訴をしました。
その年12月上旬頃にはマスコミで、私が身辺露出を敬遠して家族と共に突然潜伏し
たという記事が報道されました。
その年12月中旬頃、このうわさをのがさないように「KAL機家族会(会長・車オクチョ
ン)」と「KAL機事件真相究明市民対策委員会(委員長・金ビョンサン神父)」が「最近
突然消えた元北朝鮮工作員金賢姫氏を29万ウォンに懸賞手配する」と言ってデモとと
もに手配ビラをばらまいてまわりました。
また、これらの団体は全斗煥前大統領の自宅前、ハンナラ党とヨルリンウリ党本部
前、国会、検察庁、仁川国際空港KAL事務室、国家情報院の前などでデモと記者会見、
セミナーなどを行って、事件ねつ造疑惑を提起して様々な場所で活発な行動を展開し
てきました。
KAL機事件ねつ造説がマスコミなどでかつてないほど広がる中、「背後」(徐ヒョン
ピル著、蒼海出版)、「KAL858、崩れた捜査発表」(申ドンジン著、蒼海出版)、「私は
検証する、金賢姫破壊工作」(野田峯雄著、蒼海出版)などの本がこの時期にあふれ出
ました。
この一連の事件は互いに関連がないようにも見えますが、KAL機陰謀説を中心にして
様々な形態で展開してきたのです。そして不思議にも上記「対策委」に所属した者た
ちによって事件が起こされてきました。 訴訟、著作、出版、デモ、記者会見など一連
の事件には「対策委」所属の人たちが常に含まれていることが明らかになりました。
彼らはいわゆる国家情報院の「前衛」組織でした。
「KAL機事件家族会」とは会長車オクチョンなど何人かの遺族と申ドンジン(家族会
事務局長、作家、国家情報院過去史委員会調査官)などねつ造疑惑提起のために構成さ
れた組織で純粋な遺族会とは異なります。「対策委」は国家情報院という国家機関の
後光を背負ってKAL機事件の真相を糾明しろと叫びながらも、実際はねつ造疑惑膨らま
せることを行う色々な団体が集まって結成された政治性向の市民団体です。
上記「対策委」はインターネット・サイトを運営して裁判所に事件関連情報公開請
求をし、事件は韓国による自作劇で私はにせ物だと連日猛非難しています。彼らのサ
イトは非常に危険な水準なのに公安当局は放っておいています。
「KAL858、崩れた捜査発表」を書いた申ドンジンは「KAL家族会」,「対策委」事務
局長として働き「国家情報院過去史委員会」調査官として3年間採用され勤務しました
が、この事実が国家情報院と「対策委」の関係を語ってくれているのです。
そして、国家情報院が訴訟請求した名誉毀損事件は互いに連係して成り立っていま
す。 国家情報院が「対策委」の徐ヒョンピルと全ヒョンベを告訴したのは、検察と司
法当局をだます行為だったのです。
私は最近(8月初め)検察と司法当局に手紙形式で嘆願書を提出しました。この事件は
手続き法上何の瑕疵がないように見えるが、国家情報院が検察と司法当局の権威を失
墜させて不当な公権力行使をした事件であるということを伝えさせていただきました。
この訴訟事件で被告人徐ヒョンピル(小説家)と全ヒョンベ(出版人)の他に弁護を引
き受けた弁護士・沈載桓も上記「対策委」の委員です。それでこの訴訟事件はあまり
にも計画的な事件であることが判明しました。
私の嘆願書提出のためなのか判決裁判が1か月ほど延期になって今年9月上旬、告発
された件は無罪とされ国家情報院は敗訴しました。 被告人らに2年の求刑を求めた検
察はこれを不服として9月中旬、控訴状を提出しました。 (ソウル中央地方法院2008
ノ3194)
判決は「小説内容が真実でない疑惑を……して、内容や表現が捜査結果に反する点が
あっても、それだけで当時の捜査を担当した職員を誹謗したり名誉を毀損するために
本を出したとは見ることはできない」として、被告人らに無罪を宣告しました。
判決文には私の嘆願書内容を参考とした痕跡は見当たりませんでしたが、無罪宣告
は司法当局の名誉に傷を付けた事項に対して忍耐するという裁判所の意志表示にも見
えました。
一方、私はこの訴訟事件を通じて、KAL機ねつ造説の陰謀が一定程度うわさとしてで
も出てくれるように願いましたが、まだ静かなままなのを見ると、私の嘆願書提出の
努力はあまり効力がなかったと感じます。私が国家情報院、検察、裁判所などの国家
機関に私の真実の心を訴えたのが初めから誤った試みだったのでしょうか。
-「国家情報院の過去事件真相究明を通じての発展委員会」
国家情報院の「過去事発展委」(委員長・呉忠一)は最初に2005年2月上旬KAL858機爆破
事件、金大中拉致事件など調査対象7件を選定、発表しました。
「発展委」はその時から2007年10月下旬、調査結果を発表して解散する前までの3年
間、私に事件の当事者として調査を受けることを十数回も要求してきました。しかし、
私は「発展委」の要求をすべて断りました。
私が彼らの調査要求を断った理由は、私が国家情報院と対立している状況で「発展
委」に被調査者として出席することになれば国家情報院がその間犯す誤りに対して免
罪符を与えることになり、「発展委」で彼らの政治的目的に符合した方向に事実をわ
い曲させたりまたは強圧的な陳述をしなければならない不幸な事態が発生することを
心配したためです。
私は国家情報院が「背後」で自らの正道を超える公権力の乱用行為を決して黙過で
きませんでした。国家情報院は自身の内部に組織されている「発展委」を利用して、
私を引っぱってきて調査する過程で、懐柔と脅迫をくり返したでしょう。実際にその
ようなことが起きました。私は国家情報院によるそのような仕打ちを耐え抜くことが
非常に苦痛で困難でした。
そして、「発展委」の呉忠一委員長をはじめとして安炳旭教授、韓洪九教授、朴容
逸弁護士、李昌鎬教授など民間調査委員ら10人は大部分、情報機関による被害者であ
り、自分なりの歴史意識を持っている進歩指向の人物らで構成されていて、彼らの調
査に応じること自体がKAL機事件の根本が毀損されそうで、調査に同意することはでき
なかったのです。
一方では、「発展委」がKAL機事件を調査対象として選定した以上、調査結果を発表
しなければならないわけですが、私の調査なしで果たしてどのように発表するのか非
常に気になりもしました。
歴史を自分の方式で裁断しようとする「発展委」の再調査結果もまた、歴史に残る
ことになるので、後日彼らも歴史の批判を受けることになるからです。
「発展委」は2006年8月初めKAL機事件調査の中間発表をして、その年の年末に結果
を発表する予定だったが、翌年2007年10月初め南北首脳会談を終えて、10月下旬に調
査結果を発表して解散しました。ところで、彼らは「金賢姫は北朝鮮工作員だ」、
「ムジゲ(虹)工作の文書が発見された」という程度の調査結果を発表しました。
彼らは事件当時の安企部指揮部と当事者である私、金賢姫の調査をせずに、結論を
下しました。北朝鮮に対する謝罪勧告の一言もなく、そして無力な女一人も調査でき
ない委員会でした。「発展委」の権威はそれにより地に落ちてしまいました。
ところで、呉忠一委員長は、KAL機事件を調査する核心は「金正日はやらなかったと
いうことを明らかにすることだ」と語った事実があります。そして、調査委員李昌鎬
教授も結果の発表後、「金賢姫が北朝鮮工作員だ」ということと「金正日が指示を与
えた」ということは別個の事項であり、それは学界で定説になっていると言って、事
件の実体を傷つけようとしました。
それなら彼らは、罪のない民間人の生命を奪い取った航空機テロ事件を誰が指示し
たのか自ら明らかにすべきでした。 そして、金正日を擁護しようとする理由について
も説明すべきでした。
放送各社が、私が工作任務を与えられて北朝鮮を出発する前に朗読した「敵の背後
に出発するときに誓った誓約文」をねつ造疑惑の基本項目に入れた理由がここにあり
ました。
そして「ムジゲ(虹)工作」文書を公開した国家情報院の行動は本当に異常でした。
インターネット新聞の「統一ニュース」の要請によって、国家情報院が公開すること
になったとされました。国家情報院は「ムジゲ(虹)工作」文書の存在を知らない「統
一ニュース」に文書を提供して公開させたとても親切な情報機関でした。そして、秘
密に分類されていなかった工作文書が存在しているという事実が私としては本当に理
解できません。
-「真実和解委員会」(真実・和解のための過去事整理委員会)」
2006年8月上旬頃、国家情報院「過去事発展委員会」が私を調査できないまま中間調
査発表をした後、李昌鎬委員は法的権限がある「真実和解委員会」など色々な経路を
通じて圧迫を加えてでも私を調査するといいました。
2006年11月中旬頃、KAL機家族会は「真実和解委」に再調査を申請したし、翌年
の2007年7月中旬、「真実和解委」は事件調査の開始を決めました。
2006年12月初め、宋基寅委員長はKBSラジオ番組で「遺族らが私たちに国家情報院の
過去史委の調査結果が不十分だといって申請をしたのだ、同行命令権はあるが、それ
だけで金賢姫を調査できないならば、強制的に調査できる権限が必要で、国会に強制
拘留法案を提案したが、まだ法司委員会に上程されていない」と話しました。
2007年12月初め、安炳旭新任委員長は「真実を明らかにしなければならないが、あ
るものは適当に伏せておかなければならない」としながらKAL機事件再調査には一切関
与しないと話しました。彼は国家情報院「過去事委」委員在職時期「KAL機事件は安全
企画部のねつ造でない」という中間調査結果を発表して市民団体から猛烈な批判と侮
辱を浴びた事実があります。
最近、国家情報院指揮部へ私の手紙を伝達する過程で担当職員から「真実和解委で
私を調査しようとしている。 所在地を知らせてくれという要求をなんとか押し返して
いる」という話を何回も聞きました。
国家情報院は私に対して国家情報院「過去事委」の調査が失敗に終わるや、今回は
「真実和解委」を通じて、最後まで調査されるようにして私を窮地に追いやり続けよ
うとしているようです。政権が交代したのに国家情報院が過去の政権で犯した洗い流
すことができない過ちについて委員会を通じて免罪させようとする術策とも見えます。
そして、私を調査させ、公開された席に出させて、いまだに健在であるあちらの勢力
が私に対して身辺威嚇をしようとする意図が裏にあるのではないかと思えます。
KAL機事件が国家機関の「真実和解委」に申請され、調査がなされ、その結果が発表
される前までは、KAL機「ねつ造疑惑事件」は終わらないでずっとつづき、私は国情院
と依然として緊張関係を維持することになるのです。
-捜査局長の訪問
私が国家情報院と敵対的関係を数年の間、維持してきているなかで、金萬福院長の
書信を二度拒絶するや、2007年2月下旬頃、国家情報院李某捜査局長と職員らが私を訪
問しました。
捜査局長は私の代わりに私の夫に「『発展委』でKAL機事件について終わらせたいと
考えている。『発展委』がこの事件を終わらせて『真実和解委』(当時宋基寅委員長)
に関連書類を伝達すれば「真実和解委」はその枠の中で調査して発表するだろう。も
し、金賢姫が『発展委』の調査に応じなければ『真実和解委』で裁判所から拘留状の
発給を受けて、強制連行して調査を強要するだろう。 金賢姫に面談して調査したいの
だが、応じてくれ」と訪問目的を話しました。
しかし、私の夫は彼の要求を拒絶して「私たちは国家情報院のために自分の家から
追い出され苦労して生活してきているではないか。『金賢姫はにせ物』という本を書
いていても調査官として採用された申ドンジンと、大学で講演して歩き回る徐ヒョン
ピルを見て見ぬふりをして捜査しない理由がいったい何ですか。そして「家族会」会
長車オクチョンと「対策委」執行委員長申ソングク神父は「金賢姫は安全企画部工作
員だ」と全国で言いふらしているのになぜ捜査しないのですか」と抗弁しました。
私の夫が引き続き「今、北朝鮮の核のために6者会談が開かれてある程度合意が導き
出され成果が表面化して、北米関係改善のために米国がテロ支援国解除意志を最近表
明していると聞いています。
それなのに、韓国ではKAL機事件は自作劇だと叫びまくっていれば、米国が黙ってい
ると思いますか。 北朝鮮もテロ支援国解除を要請しているというのに、韓国で足を引っ
ぱるおかしな主張を扇動していれば北朝鮮がどのように韓国を考えますか。 また、政
府は南北首脳会談を推進しようとしていると思います。 KAL機事件で被害をこうむっ
た韓国は、被害を与えた北朝鮮に謝罪なしに与えるのみになっています。南北首脳会
談時に北朝鮮に正式にこの問題に対する謝罪を要請しなければなりません。そうして
こそ、南北相互関係における会談の真実性が生まれるのです。 この機会に国家情報院
が自らの誤りから抜け出そうとするなら、北朝鮮に謝罪させてください」と首脳会談
関連して話し、捜査局長に対して逆に要請をしました。
その次に私の夫が、「今、金賢姫は韓国、北朝鮮両側から追いつめられているけれ
ど、それよりも日本の接近がさらに深刻になっています。日本は、拉致問題で6者会談
に消極的であり、金賢姫をどのようにしてでも探し出そうと血眼になっています。日
本も、李恩恵の息子との出会いを通じて自らの立場を高めようと努力しており、それ
が南北関係に一定の作用や影響を及ぼすだろうと考えています」と事件と関連する国
外の問題を話すと捜査局長は納得するかのようでした。
また過去事委員会に関して、私の夫が「YS政府の時も『歴史を立て直し』をすると
やかましかったが、今は各種の過去の歴史委員会を作って、歴史立て直しをしていま
す。彼らは「歴史というのは権力によって書くのだ」と信じているのでしょうが、政
権が交代すればその事件に対する歴史批判がまたくり返すということを知らなければ
なりません。
今、過去事委員会は「真実」、「和解」、「発展」という言葉を前面に出して歴史
批判をしています。そして、国家情報院がその委員会の代理として私たちに伝達者役
割をする姿が忍びないだけです。
金賢姫に対して過去に司法府が3審を行ったものを、今回、「発展委」が4審を行い、
「和解委」が5審をする行為、これが人民裁判ではなくて何でしょうか。金賢姫はいつ
まで裁判を受けなければならないのですか」
と強い語調で局長に話すや、彼は慌てながら「人民裁判とまで言うことができようか。
違う。私も組織員に過ぎない。それでは呉忠一委員長に聞いたことを報告する」と話
してあわてて帰ったという事実があります。
その年10月初め、南北首脳会談が平壌で開かれましたが、韓国当局は北朝鮮にKAL機
事件について一切議論を提起できませんでした。
-国家情報院の二重戦術
私は国家情報院が背後で二重基準を持って、表面では情報機関本来の任務を遂行す
るかのように行動しつつ、実際、内実では表面とは違った行動をするのを見させられ
ました。
一番目に、国家情報院の二重戦術は一貫性が欠如した行動によって容易に発見でき
ました。李相淵前部長は2004年6月初め、前職安全企画部長らと共に高泳●院長に会っ
た席で、KAL機問題に対して合法的手順を踏んで再調査要請がくれば積極的に対応する
用意もあるという高泳●院長の確固たる立場を聞いて、当時の捜査責任者として心づ
よかったとおっしゃいました。
そして高泳●院長はその年7月初め、国会情報委に出席してKAL機事件に関する再調
査論議について「大法院判決が真実だと信じており、これは確固たる立場だ。KAL機事
件は疑問死調査委らを通じて調査する事件に該当しない」と再度確認しました。しか
し彼の話は守られなかったです。
その年8月中旬、高泳●院長は「参与連帯」をはじめ「人権運動のサランバン(客
間)」「民衆連帯」「民家協」「民主弁護士会」など7つの人権・市民団体の関連者ら
と市内某ホテルで極秘裏に会合を持って「国家情報院過去事発展委」の構成と運営に
関して意見を打診しKAL機事件等の関連資料を渡しました。(●は 老冠に 句)
このように彼は組織のトップとして外と内が違う二重的な言葉と態度を見せました。
彼は国家情報院長に就任する前の在野時代に民主弁護士会に所属しており「KAL機事件
対策委員会」で活動した事実があると聞きました。
彼は金賢姫事件のねつ造は有り得ないことだと言いながらも、「国家情報院の過去
事委」が7大優先調査対象を選定することを放置しておいた理由を説明するべきでした。
「国家情報院の過去事委」は彼が招集し構成した組織ではなかったのですか。
そして、朴丁三第1次長は日刊紙「グッドディ」新聞発行人として在職していたとき、
2001年9月創刊号に私が乗っていた車両を襲撃した写真を1面で大きく報じた事実があ
ります。この事件があった後、まもなくKAL機事件ねつ造疑惑の提起が放送と言論を通
じて、また始まったのです。
結局、盧武鉉政権は国家情報院長と次長などの指揮部にKAL機事件と関連した者を政
権樹立時から任命して、KAL機事件を政府政策の一環として使おうとしたようです。情
報機関の運営権を持つ彼らは任命された初期からKAL機事件と関連して、実質的な情報
機関運営の方向を深く議論したと考えられます。
二番目に、捜査情報資料の提供の側面で見てみると、放送3社が特集でKAL機事件ね
つ造疑惑を提起し、私、金賢姫と安全企画部を非難する番組を製作しているのにもか
かわらず、国家情報院が関連資料を提供し支援したという事実から指揮部の二重意志
が現れています。
国家情報院はMBCとSBS製作陣には写真、映像、資料、証拠物など基本捜査資料を提
供したが、KBS製作陣には金勝一の身元関連資料、旅券に押されているスタンプが偽造
かどうかの資料など新しい捜査情報資料を提供して番組が2部作で放映できるようにし
てやりました。
ところで、2004年3月下旬頃、日本の日本テレビ系列「ニュースプラス1」がKAL機事
件と関連して、「金賢姫17年間の真実」という題名の特集を二日間放映しましたが、
この番組では担当捜査官が明らかにする極秘捜査資料として拉致された日本語先生李
恩恵とともに生活した招待所の周辺環境や、招待所内部構造など私が作成した詳細な
図表を公開しました。
国家情報院が国内放送会社に提供した捜査情報資料とは情報の水準がずいぶん違う
ことが分かりました。もし国家情報院がそれらを国内放送会社に提供して放映させた
ならばKAL機事件ねつ造疑惑説はすぐに力を失ったでしょう。
国内放送各社は李恩恵関連の疑惑はそろって取り上げずに事件を放映しましたが、
日本の放送会社は李恩恵を中心に国家情報院から高級情報を提供され放映しました。
これが国家情報院の資料提供に対する二重戦術だったと考えます。
三つ目に、国家情報院が小説家と出版人を相手に起こした名誉毀損訴訟事件です。
国家情報院はKAL機事件ねつ造疑惑の世論を作る広報次元で偽りの訴訟事件を起こしま
した。 国家情報院は初めから名誉毀損とは距離が遠いと見ていたと思います。小説よ
りもっと大きい社会的波紋を起こしたKBSなど放送3社に対しては告訴をしませんでし
た。企画、支援をした国家情報院としては放送会社らを告訴することはできなかった
のだと思います。
そして、国家情報院は小説「背後」を書いた徐ヒョンピルは告訴して、本の表紙に
「安全企画部捜査発表は対国民詐欺だ」としてノンフィクション「KAL858、崩れた捜
査発表」を書いた申ドンジンは告訴するどころか、「国家情報院の過去事委」の調査
官として採用しました。これもまた国家情報院の不公平な二重処置ではないのですか。
四つ目は、2006年4月初め、日本の東京シティホテルで「国家情報院の過去事委」委
員の李昌鎬、調査官申ドンジン、国家情報院職員と見なされる通訳などが朝総連系と
も懇意にしている作家の野田峯雄と接触した事実があるそうです。国家情報院が、そ
の本の販売禁止仮処分申請をし、国益に反するとして入国禁止措置を下した者を訪ね
て接触し、事件関連の話を交わしたという事実は、情報機関に所属する委員として非
常に危険な二重行動に違いありません。
偽りの名誉毀損訴訟を起こしながら、不公正放送をする放送3社を支援し、入国禁止
された日本人作家と接触するというこのような国家情報院の二重行動と戦術は彼ら自
身が「背後」にいるという事実を立証しているのです。
-陰謀の背景
国家情報院がKAL機ねつ造疑惑事件を企画工作し陰謀を計画した背景には盧武鉉政権
の政治理念と関連が多いようでした。
KAL機事件が発生した後、この事件により米国が北朝鮮をテロ支援国として指定した
ので、北朝鮮は国際社会でより一層孤立化し、韓国内反米親北勢力は韓国民によるテ
ロ蛮行糾弾デモのために大きい打撃を受けたと考えられます。
かつてないほど反米・親北が濃厚な盧武鉉政権が樹立されたことにより、状況が逆
転しました。反米・親北勢力は政治的反対勢力である親米反北勢力を政権内から追い
出して、自身の政治同調勢力を活性化しつつ北朝鮮政権に融和的に対応しようと努め
ました。
そして、盧武鉉政権はKAL機事件を過去の政権の時とは違う、別の視覚から脚色しう
まく利用しようとしたと思います。親北政権はKAL機事件により16年間、足かせをはめ
られている北朝鮮に、その足かせを解いてやって関係改善を行うと同時に、国内政治
勢力の構図を変化させるためには過去の歴史の中の事件としてはKAL機事件が最も良い
素材となると考えたようです。
KAL機事件のすべての捜査情報資料を握っている国家情報院が、自分たちの正体はきっ
ちり隠したまま、安全企画部の捜査結果発表文を再構成して真実ゲームを繰り広げる
奇抜な企画工作を計画したのです。
この工作陰謀は人的、物的、規模面や事態を展開する組織の形態の側面で見る時、
それまでの単純な疑惑提起次元でなく大規模的で体系的で政権次元でなされたものだ
と分かります。
そして、彼ら執権勢力は自分たちを民主化勢力であることを自任しながら、反民主
化勢力と見なした軍事政権に対しては被害意識と憎悪心が高かったのです。軍事政権
を含んだ過去の既得権層を反民族、反民衆勢力ないしは親米反北勢力と規定する性急
さから、彼らは急進的理念主義者らで偏狭な民族主義者らだと見えるのです。
宋基寅神父、呉忠一牧師、安炳旭教授らは、(過去の)既得権勢力こそ民衆と共に交
わる大同社会を成し遂げるのに妨害となる勢力だと認識を共にしながら、過去を清算
するとして真実和解委と国家情報院過去事委の委員長に任命されたりもしました。
彼らの過去事調査は親日、親米、反北勢力らによって被害を受けたと見なされる者
らをなんとかして救済しようとする作業が大部分でした。このような過去清算作業を
通じて、執権勢力は長らく政権を維持して「未来社会」を掌握しようとしました。
また、執権勢力はKAL機事件を国家公権力による疑問死と規定して、すでに大法院の
確定判決を終った事件であり、国家情報院過去事委で調査が進行中にもかかわらず、
また真実和解委で二重の再調査を受ける道を開きました。
実体