国際シンポジウム「北朝鮮の現状と拉致被害者の救出」全記録
総合司会 櫻井よしこ(ジャーナリスト)
これから第2部を始めさせていただきます。第1部では、本当に衝撃的なお話がいくつも飛び出てきました。私たちは改めて、拉致は日本という国家が果すべき責務を果たしていないことから生じたことを痛感したはずです。30年も、31年も、32年も経ったのに、なぜ被害者を救出することができないのか。そこにも日本の政治の、外交の不在があるということを具体的に学んだのが第1部だったと思います。そこで、毎年繰り返し、ご家族の皆様方に、やはりここで思いの丈をお話していただければと思います。思いの丈と言いましても時間の都合上、お一人3分、4分程度でお願いしたいと思います。
有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)
みなさん、こんにちは。本当に毎年、今年こそはと祈るような思いで年が明けるのですけれども、年末になりましたら、また今年もダメだったなと、そういう繰り返しなんです。だから本当に、今、恵子がどうしているかなーっという思いが、ずーっとしております。今年で25年になりますけれども、25年間、どんな思いであの国で暮らしているんだろうなと思います。
24年目に5人の方が帰ってこられました。できるならば、その方たちに、どんな思いでこの24年間暮らされていたかなということをお聞きしたいなと思う時もあります。本当に私たちでは想像ができないです。自由を奪われて、本当に親にも会いたいでしょう。家族のみんなに会いたいと思っていると思いますけれども、ずーっとそれを我慢して、どんな思いであの土地で暮らしているかということと、私たちも一日一日歳が行きます。体の衰えを感じるようになりました。でも、何とか取り返すまでは頑張らなくてはと思って動いておりますけれども、これが突然動けなくなったらどうしようかなという気持ちがすーっと付いて回っています。
でも、私は、何とか、手紙が来たことによって、助けてくださいということだろうと思って動いておりますので。いつも申し上げるんですけど、やはりこれは皆様のお力で助け出すしかしょうがないと思っています。皆様が関心を持って私たちを支援してくださることによって、私たちも本当にありがたいなって思って、これは一人では生きられないな、皆様に助けられて生きているということを、この運動を始めてつくづく思っております。本当に最後まで皆様がご支援くださって、私たちもできる限り、体の動く限り頑張っていこうと思っております。どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
浜本七郎氏(地村富貴恵さん、旧姓・浜本富貴恵さんの兄)
こんにちは。忙しい中、ご来場、ありがとうございます。本来でしたらこの秋に再調査の結果が出て、日本政府に対して何らかの報告がなされなければいけなかった。福田さんの辞任によって、完全に白紙に戻したということです。再調査というのは、外務省、国が交渉して、国家間の約束事を取り交わして合意したことなんです。それを簡単に白紙に戻すということは、再度、つくづく信用に値する国なのかということに尽きると思います。国対国で取り交わしたということは全く重さが違うわけです。それを簡単に白紙に戻すというのだから、もう国として認めているということ自体が間違っているんであって、あの国は国家ではないと断言できます。さらに経済制裁の問題では、日本はまだまだ甘いと思います。人、物、お金の制裁を確実なものにして、がんじがらめにしてやっていくしかない。先ほどブラウンさん、張さんの話を聞いたとおり、やっぱり自国民を助けるというのは自国民が行わなければ、米国や他国に対しいろいろと協力してくれと言っても、結局は自分の国は自分で守らなければいけないということが、今日のシンポジウムでよーく分かりました。ぜひとも皆様のご支援と応援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
横田早紀江さん(横田めぐみさんの母)
皆様、こんにちは。長い間、拉致被害者救出のために一生懸命にこのようにご支援くださっていることに、本当に感謝いたします。今日はアーサー・ブラウンさんや張さんの新しいいろいろなお話を聞きまして、本当に私たちの知らない、たぶんそうしゃないかなと想像していたような日本の外交のあり方とか、見えない所の部分のことを知らされた思いがいたしました。
人間の命がどんなに大事なものか、そこにいる者を助けるということは、一瞬にして命がなくなるということを考えたら、すぐに救わなければならないということで、私たちは31年間頑張っているんです。もう絶対こんな理不尽なことはあってはならないし、日本の国民の誰がこんなになっても、もう本当に気が狂うようなことなんです。なんで助けられないんですかって、いつも思っているんです。めぐみは、あちらの国で思いがけなく元気な女の子を出産し、そして15歳のかわいいウンギョンちゃんという女の子がテレビに出てきました。本当に、こんな悲しい中で何も教えてあげられなかったのに、ちゃんとあんなに元気な女の子が育っているということは非常に感動的でしたけれども、めぐみはあの女の子があんなに元気で育っているということを知っているのでしょうか。
ウンギョンちゃんは「お母さんは死にました」と言っていますけれども、お母さんが死んだと言わされているのか、そう思っているのか、北朝鮮は本当に人間として許されないことをやっているわけです。そのようなことを堂々とやり続けて、偽の骨を出してきたり、死亡していると言ったり、ありとあらゆる嘘を私たちは突きつけられながらショックを受けてきました。
そのような国だということを、もっともっと真剣に取り上げて、私たちの国が強く、いい加減にしなさいと、強い態度で怒って、そして外の国々にも、あなた方の子供だったらそう思いませんか、どう思いますか、命って何より大事なことではないんですかっていうことをはっきりと口に出して、具体的に行動に移していただきたいと思っています。もう、それしかないと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
本間勝氏(田口八重子さんの兄)
みなさん、こんにちは。本日はアーサー・ブラウンさんの話のように、本当に、日本の外務省が早くから分かって、そんな取り組みをしていれば、拉致問題はとっくの昔に解決できたのではないかと思います。今日、話を聞いてつくづく思いました。本当に日本はだらしない国です。考えがないのかと思います。八重子も今年で30年という年月が経ちました。取り返しのつかない年月ですけれども、一日も早く家族のもとに帰って、耕一郎ともう一人のお姉ちゃんがいますけども、家族を構成できる一般の平和なありきたりの家庭を築かせてやりたい。そういう思いでいっぱいでございます。
私たちも、国がいまだ助けられないという現状に途方にくれながら、署名活動とかいろいろやっていますけれども、これは絶対に諦めない。金正日が倒れるか、私が倒れるか、そういう気持ちで取り組んでおります。どうかみなさんもそういう気持ちで、ご支援をお願いいたします。自分の家族を取り返すのには、命に限りがあります。限りが見えているんですけれども、時間との勝負です。負けられませんので応援してください。よろしくお願いいたします。
平野フミ子さん(増元るみ子さんの姉)
みなさん、こんにちは。いつも変わらぬ温かいお心に、本当に感謝しております。今、地方自治体でパネル展をしております。鹿児島でも北朝鮮人権週間に当たって、してくださっております。本当にみんな、笑顔で写っている写真ばかりです。あの笑顔を目の前で見たいんです。母に見せてあげたいんです。それができるのは国民の世論の力だと思っております。羽田の地に、福岡の地に、熊本空港に、鹿児島空港に、それぞれのご家族が、特定失踪者のご家族も、みんな降りることができるのは皆様の力にかかっております。よろしくお願いいたします。そして今、自民党総裁の麻生さん、北朝鮮に飛んでいただけないでしょうか。最後の力を振り絞って、拉致被害者を全員取り戻すためにもう一働きしていただきたいと思います。
市川健一氏(市川修一さんの兄)
こんにちは。鹿児島の市川です。いつも変わらぬ支援を賜り有難うございます。
心より感謝申し上げます。
弟修一が北朝鮮に拉致されて30年、自分の息子の帰国を今か今かと待ちながら、母は先月、11月15日、旅立ってしまいました。91歳という高齢の身でありながら、至って健康で、まさかのクモ膜下出血で倒れてしまい、快復することなく帰らぬ人となってしまいました。修一に会いたい、修一の帰国までは元気でいなければと口癖のように言っていた母。その母に一刻も早く会わせてやりたい、胸に抱かせてやりたい、その一念で私も闘ってきましたが、その願いも叶うことができなくなってしまい、本当に残念で悔しくてなりません。
政府は国民の生命安全を守る義務があります。人様の国に入って来て国民をさらっていく、このような行為がまかり通ると思う方がおかしな話で、日本の主権、人権は北朝鮮に侵害されているのです。
30年間、政府はなぜ助けられないのかと思うと、怒りを覚えます。あの犯罪国家北朝鮮に対して丸腰の交渉では何も進展しません。むなしく時間だけが過ぎ去ってしまうだけです。圧力を追加し、人、物、金を全面禁止すべきです。
日本政府が毅然とした態度で北朝鮮に対応していくためには、どうしても国民の皆様方の後押しが欠かせません。
北朝鮮工作員の安明進氏、大韓航空機爆破犯人の金賢姫氏も手記の中で、日本の国民が被害者を返せと声を挙げることが大事であると言っています。被害者全員が祖国の土を踏むまで、この拉致事件に関心を持ち続けてください。そして私たち家族と共に世論を高めてください。どうか皆様方の力を貸してください。お願いいたします。
斉藤文代さん(松木薫さんの姉)
みなさん、こんにちは。いつもいつも、皆様方のご支援によって私たち家族は支えられております。私の弟、松木薫はスペインから北朝鮮に拉致されました。私たちは何もできませんけれども、熊本の阿蘇とか、地元のほうで人権フェスティバルをやっております。また、写真パネルも展示しており、皆様方の本当に力強いご支援のもとで私たちの拉致問題についてのお話もさせていただいております。
今月、地元で急に、子供さんたちの人権フェスティバルの中で拉致問題を話してほしいということで、30分お時間をいただいてお話をさせていただきました。私は最初に「横田めぐみさんを知っていますか。知っている方は手を挙げてください」と言いました。すると、みんな「知っています」と手を挙げておりました。ああ、子供さんたちがこんなに知っているのに、なぜこの問題が片付かないんだろうと、本当に嬉しいのと悲しいのとが交わりました。本当にこれはみんなで、日本の国がすぐにでも解決しなければならない問題なんだとつくづく思いました。
母が病院で薫の帰りを待っております。なんとしてでも会わせてあげたいんです。昨日も、私が「東京に行ってくるから」と言ったら、私の顔をいっぱい撫でるんです。どういう思いで撫でるのか。これが薫であったらよかったのにと思いながらも、しっかりと顔を撫でさせてきました。早く薫の顔を撫でさせてあげたいなと思っております。これからも、私たちも一生懸命頑張りますので、どうか皆様方の温かいご支援、また一緒に戦っていただきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
松本孟氏(松本京子さんの兄)
今日は大勢の方にお越しいただきまして本当に有難うございます。妹がいなくなって今年で32年目に入ります。私どもは、そんなに難しい、贅沢なことを言っているわけではないんです。妹が無事に、日本の地に、米子の地に戻ってくればそれでいいと思っています。失った31年を取り返すことはできませんけれども、日本の政府が、今からでも遅くないので、力いっぱい北朝鮮に怒鳴り込んで行って、拉致された皆さん全員を救っていただければ、この日本の政府もちょっとはまともな国として世間から見られるかもわかりません。妹は、政府から認定いただきまして2年が経ちました。もし、京子が帰って来た時に、「お兄さん、政府認定を受けた時にどうして助けてくれなかったのですか。日本の政府は」と言われた時に、私には答える言葉がないんです。どうやって説明すればいいんですか。ぜひ皆さんの力で日本の政府を動かしてください。よろしくお願いいたします。
寺越昭男氏(寺越昭二さんの長男)
こんにちは。父が拉致されて45年になります。いまだに拉致認定はしていただいておりません。寺越事件というのは、たぶん、日本の政府が、北朝鮮拉致について一番最初にわかった事件だと思っています。それを今まで、分かっていて隠し通したというか、そういう姿勢が拉致問題の解決を遅らせたのだと思います。父は、生きていれば83か4になるんですけれども…。たぶん亡くなっていると思うんですけれども、母が死ぬ時にというか、生きている時に、「父の遺骨を見るまでは死んだと思わない、信じられない」と。私も、父の遺骨を見るまでは、父が生きていると思って、またこれからも活動していきたいと思いますので、皆さんご協力お願いいたします。
櫻井 どうもありがとうございました。45年前、32年前というその悲劇がずーっと続いてきているということに私たちは憤らなければならないと思います。