国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録
海老原智治 世界の拉致被害者の一括解決を
海老原智治・タイ パタヤ大学講師、北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ代表
私からは、タイ人拉致が判明して以来のタイ政府のこの問題に対する取り組み、および私たち支援団体の取り組みの両者を絡めながらタイの事情を紹介します。
タイ人拉致が判明したのはジェンキンスさんの本からです。これが2005年10月末から11月頭にかけて大きなニュースとしてタイに流れました。それに基づいて家族が名乗り出て、タイ政府も被害者の戸籍等調べ、タイ人に間違いないということになりました。そこに家族会の増元照明事務局長、救う会の西岡力常任副会長が訪タイして、同年11月10日、家族との面接調査等を行い、これは確実であるということになり、アノーチャ・パンジョイさん、チェンマイ県出身、現在52歳の存在が確定しました。
それについて、タイ政府は今のところ一貫して拉致被害者という言葉は使わず、行方不明者と称しています。その一方でこの1年間に数度、その行方不明者の存在の問い合わせを行っています。これはタイの外相レベル、首相レベルから直接、機会を見つけては問い合わせるということが数度繰り返されていますが、北朝鮮側からの回答は一貫してそのような人物は存在しない、ジェンキンス証言は嘘っぱちであるということを朝鮮中央通信を通じて表明しています。
私たち支援団体(北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ)は、この拉致が判明した直後に、増元さん、西岡さんがタイに訪問されたときに何かお手伝いをしたいということを申し出たのをきっかけにして、私のほうで立ち上げ、今現在、タイ国内で拉致問題を支援する唯一の市民団体ということになっています。タイ政府の対応の基本的スタンスは、タイと北朝鮮の二国間交渉ですべて解決しようということです。そのために、日本あるいは韓国と共同戦線を張るようなことからは一線を隔したい。しかし両国とは密接に連絡を取りながら情報の交換を行っていきたいということを再三強調しています。
その中でこの5月には、カンタティー前外相が日本に訪れた際には、外相のほうから家族会の皆さんに面会を申し入れて面会が実現しました。それを受けて私たちは、タイで五月末にカンタティー前外相に被害者家族のパンチョイさんとともに面会を申し入れ、救援を訴えました。そのような積み上げを行って、2006年9月にはタイの議会レベルで初めて、国会外務委員会において拉致問題が取り上げられることになりました。これは私たちのほうで、タイ人拉致問題および拉致問題一般のタイ語資料をつくり、折を見て記者発表したり政治家レベルに送付するということを続けています。それを受けて幸いにも外務委員会の顧問の方が取り上げて下さるということになり、初めてタイの議会レベルでこの問題が議論されるということになったのですけれども、9月末にタイではクーデターが起こって政権が転覆し、現在まで国会は閉鎖されています。そのために国会レベルの取り組みは拉致問題には寄与していない状況にあります。タイでクーデターが起こったために、社会認識が内政のほうに行ってしまい、このような個別の問題への関心が薄くなっているという事情もあり、家族としても私たち支援者としても気をもんでいるところです。
大きな支援アプローチの一つとして、北朝鮮も韓国もわからない人が多いという状況にありますので、その中で拉致されたということを言っても、出稼ぎが多い国柄ですから、海外に出てちょっとわからない状況になってしまう人の存在は非常に多い。その中で北朝鮮という認識ゼロの国に拉致されたと言っても、海外に出て行方不明になった人の一つではないのか。外国にいるんだからいいんじゃないか、というものです。外国のほうがいいところだという漠然とした印象もありますし、そういう認識にとどまっているというところがあります。
そういう認識の根本問題から変えていかないとこの問題の裾野の広がりはありえないという認識から、今現在、ジェンキンスさんの『告白』、これはタイ人拉致が明らかになった最重要の文献と認識していますけれども、そのタイ語訳を作成しています。来年の早い時期にはタイ社会に問うことができるという状況にあります。そのようなことを通して北朝鮮の体制はどういうものなのか、暮らしの実情はどういうものなのか、そこにどのような人権侵害があるのか、その発露が拉致なんだということを体系だってタイ社会に問わない限り、社会レベルでも政治のレベルでも十全な認識が得られないと考え、この部分の社会的な認識の構築に努めたいと思っています。
今現在、脱北者がタイに非常に多く来ています。おそらくタイに入る脱北者はここ最近では一番多いのではないかと思われます。そういう意味でタイには脱北の面でもかかわりが多いのですが、これも北朝鮮の体制認識とは全く切り離されて、個別の一つの事件という認識にとどまっています。幸い、脱北者に面接をした貴重な英語書籍があり、「Are they telling a truth」(彼らは真実を語っているのか)という書籍のタイ語訳も私たちが手がけることになりました。ジェンキンスさんの拉致の側面と脱北の側面から北朝鮮の実情を浮き彫りにしてタイ社会に問うことでさらなるタイの社会理解を高めて行きたいと考えています。
国際連携について一つ付け加えさせていただきます。救う会の佐藤会長のほうからもこの問題の部分的な解決あるいは中間的な解決というのはありえない、体制崩壊による一括された拉致問題の解決ということしかありえないという話がありましたけれども、その一括解決ということは、日本人拉致だけでなく、拉致されている各国人の一括解決を意味すねものと考えます。その意味で、タイであれ、韓国であれ、そのために国際連携が非常に重要ですから、タイ人拉致の情報発信も非常に重要になってきます。そのようなことで私たちはパンフレット等を多言語で作成して配布しています。
カンタティー前外相に2006年6月に面会したとき、私のほうから各国の拉致被害者に対して外相から何かメッセージをいただけないか尋ねました。これまでの国際連携は日本がハブになった形で、日本とタイ、日本と韓国という形でリードされてきましたが、その展開のためには今度はタイと韓国というような展開も望まれるのではないかと思うからです。そのような思いから、外相から韓国の家族に対して何らかのメッセージをいただけないか頼んだところ、「韓国のご家族対しても非常な同情を禁じえない。これからも韓国のご家族とも情報交換、連携を行っていきたい」という言葉がありました。ただし前外相はクーデターで追われてしまっていますが、先週、私たちは来日前に新しい外相にお会いして、これまでのタイ政府のこの問題に対する取り組みは政策的に変更があるのかないのか伺ったところ、「全く変更がない、すべて継続している。私の政治課題に組み込んでいく」ということがはっきり言明され、ご家族に伝えられました。これはタイの報道にも出ています。そのようなことから韓国との連携も継続されるものと見ています。