7.平野フミ子
みなさんこんにちは。いつも、いつも、私たちを支えてくださって、ありがとうございます。私の父が、「俺は日本を信じる。だからお前も信じろ」と私たちに遺言を残して8年前、10月17日に、るみ子に会えずに、あの世に逝ってしまいました。
私の母は、その時から鬱じゃないかなと思うほどがっくりきて、喜怒哀楽も表せなくなり、長年の膝の痛みも悪化し、本当に大丈夫だろうかという思いです。私は熊本におりますので、たまに行って、叱咤激励しています。前はよく親子喧嘩をしていたのですが、今はその喧嘩も、あの姿をみるとできなくなった、そんな状況が8年間続いています。
でも去年、妹の戸籍を回復しました。妹の失踪は、昭和53年8月12日ですが、55年1月に、「産経新聞」で北朝鮮の拉致ではないかと言われて、私たちはこれ(拉致)しかないと思っていました。だから政府が何かしてくれるだろう、動いてくれるだろうと思って、何も手出しできないというか、個人レベルでは何もできない状態でした。
しかし、法務局から、るみ子の戸籍が、「悪用されるといけないから戸籍を抹消した方がいいだろう」ということで、父は断腸の思いで、生きていると信じていたのですが、戸籍を抹消しました。
でも去年戸籍を回復して、日本政府が生きているから返せという時に、家族が戸籍を抹消していたらその証にならないということもあり、戸籍を回復させていただきました。地方の法務局や自治体にも色々お世話になりました。
その時から母は、元気になりました。長年ヤクルトの配達を歩いてしていたものですから、体重が膝に負担をかけていましたので、今、歩行困難の状況ですが、毎日の治療にも前向きになって、「るみ子に会えるまでは頑張らんといかん」と常々言っています。
私も、絶対に母にだけは会わせて、天国にいる父に、「戸籍を回復したんだよ。るみ子も帰ってきて孫もうてね」という話を絶対にさせてあげなければいけないと思っています。
父が最後に残した「日本人を信じる」ということは、国民の皆様を信じるということだと思います。拉致問題に関心を寄せる人が少なくなりましたが、今ここにいる方がいる限り、私たちは頑張れます。絶対にあきらめることはありません。どうぞこれからも宜しくお願いいたします。
西岡 増元るみ子さんと一緒に拉致された市川修一さんは23歳でした。現在55歳。両親を大切にして、心優しい男性だったそうです。初ボーナスで高価な大島紬をお母さんにプレゼントしたそうです。一昨年、修一さんを待ち続けていたお母さん、トミさんが亡くなられました。95歳になられる最近のお父様の様子をお伝え下さい。
目次
第一部 | |
1.増元照明 2.飯塚繁雄 3.平沼赳夫 4.中井 洽 5.古屋圭司 6.竹内 譲 7.泉田 裕彦 | 8.深井 明 9.荒木 和博 10.崔 光奭 11.バンジョン・パンジョイ 12.海老原智治 13.上田清司(メッセージ) |
第二部 | |
1.増元照明 2.西岡 力 3.横田早紀江 4.横田滋 5.有本明弘 6.飯塚耕一郎 7.平野フミ子 8.市川健一 9.松木信宏 10.松本 孟 | 11.寺越昭男 12.北野政男 13.横田 滋 14.横田早紀江 15.横田哲也 16.本間 勝 17. 有本嘉代子 18. 市川龍子 19. 斉藤文代 20. 増元照明 |