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書籍情報



『横田めぐみさんたちを取り戻すのは今しかない』
(PHP5/7刊、1620円、税込)

西岡 力著


『めぐみへ 横田早紀江、母の言葉』(1470円、草思社)
家族会・救う会編著
産経新聞出版刊 1575円


『めぐみ手帳 娘を取り戻すための記録』(1500円+税、光文社刊)
家族会・救う会編著
産経新聞出版刊 1575円


めぐみさんたちは生きている!「北朝鮮拉致」家族会・救う会10年の闘い
家族会・救う会編著
産経新聞出版刊 1575円


「北朝鮮拉致」の全貌と解決国際的視野で考える
家族会・救う会編著
産経新聞出版刊 1400円


南北朝鮮同時崩壊か
平田 隆太郎 他著 1000円


北朝鮮の「核」「拉致」は解決できる
西岡 力(著) 1300円


金正日に正しいメッセージを
経済制裁の疑問に答えます
平田隆太郎、惠谷 治、島田洋一、西岡 力、李 英和著 1000円(税込み


 

妹よ  飯塚繁雄(著)
日本テレビ放送網出版 価格:\1300(H16.05.26発刊)
田口八重子さんのお兄さんの手記
飯塚繁雄拉致で一変した家族の物語
息子耕一郎さんが救出運動に参加

恵子は必ず生きています 有本嘉代子(著)
神戸新聞総合出版センター 価格:\1575(H16.03.30発刊)
失踪5年後に来た手紙と冷たかった外務省
家族会結成までの孤独な闘い
拉致を認めたよど号犯の妻


薫へ 届かなかった手紙 蓮池秀量・ハツイ(著)
新潮社 価格:\1260(H15.10.30発刊)
書き続けた息子への母の手紙
和歌に託す父の思い
感動の帰国から1年


家族 家族会(著)
光文社 価格:\1600(H15.07.07発刊)
家族会会員の涙と怒りの記録
衝撃の1日?突然の失踪
新たな衝撃?北朝鮮拉致が明るみに


奪還 引き裂かれた24年 蓮池透(著)
新潮社 価格:\1365(H15.04.25発刊)
朝鮮公民としての弟が変わった時
駆け落ちか、神隠しか
「2つの国」との戦い


めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる
横田早紀江(著),西岡力解説
草思社 価格:\1575(H11.10.30発刊)
ある日突然、娘がいなくなった
わが身にかえても取戻す
凛とした日本人の心で救出を


拉致と強制収容所 北朝鮮の人権侵害
法律家の会編(著)
朝日新聞社 価格:\1260(H16.06.30発刊)
特定失踪者の失踪事例と拉致が濃厚な理由
北朝鮮強制収容所の役割・歴史・廃絶の課題
脱北者の人権侵害と日韓中政府の責任


北朝鮮による拉致を考える
―中学生・高校生に知ってほしいこと 

佐藤勝巳監修
明成社 価格:\700(H16.03.26発刊)
拉致事件の基礎知識
横田夫妻からのメッセージ
拉致事件関連資料


北朝鮮に取り込まれる韓国 西岡力(著)
PHP研究所 価格:\1575(H16.03.10発刊)
なぜ韓国は親北派の手におちたのか
韓国保守派は巻き返せるか
拉致事件により日本はいま有事である


横田めぐみは生きている 安明進(著)
講談社 価格:\1029(H15.04発刊)
元工作員が暴いた「日本人拉致」の陰謀
安明進氏の最新証言と衛星写真が圧巻
匿名工作員座談会の新情報が貴重


アメリカ・北朝鮮抗争史 島田洋一(著)
文春新書 価格:\720(H15.03.20発刊)
米朝関係をきちんと押さえると拉致が分かる
クリントンの失敗の本質
ブッシュに追いつめられた独裁者金正日


北朝鮮の「今」がわかる本 佐藤勝巳(著)
三笠書房 価格:\1365(H14.末発刊)
北朝鮮の危機はどこまで深刻か
強制収容所、その恐怖の実態
朝鮮総連と北朝鮮の隠された関係


拉致家族「金正日との戦い」全軌跡 佐藤勝巳他(著)
小学館文庫 価格:\500(H14.12.01発刊)
日朝首脳会談実現の経過と総括
信じられない北朝鮮の「調査結果」
恫喝・人質外交に乗せられた政治家たち


拉致家族との6年戦争 敵は日本にもいた 西岡力(著)
扶桑社 価格:\1500(H14.12.20発刊)
拉致救出のため91年以降なされた運動と研究
野中広務ら親北政治家とのたたかい記録
北朝鮮「調査報告」矛盾点資料巻末収録


拉致救出運動の2000日 荒木和博編著
草思社 価格:\1995(H14.11.29発刊)
2002年末までの家族会・救う会運動記録
誰が事件の早期解決を阻んだか
メールニュース・声明等資料の集大成


テロ国家北朝鮮に騙されるな 西岡力(著)
PHP研究所 価格:\1260(H14.11.06発刊)
ブッシュの悪の枢軸演説が拉致救出を進めた
北朝鮮は核爆弾を小型化させた
南進用トンネルが今も掘削されている


金正日が仕掛けた「対日大謀略」 拉致の真実
西岡力(著)
徳間書店 価格:\1680(H14.10.31発刊)
金正日が拉致謝罪した理由
「8人死亡」の調査報告は対日大謀略
北朝鮮の「調査報告」資料等巻末に


謝罪します 私が有本恵子さんを誘拐しました
八尾 恵(著)
文藝春秋社 価格:\1680(H14.06.30発刊)
「よど号」グループは北朝鮮で何をしてきたか
金日成が日本革命のため日本人拉致を命令
正直で素直な有本恵子さんだから拉致した


日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか
佐藤勝巳(著)
草思社 価格:\1470(H14.03.08発刊)
朝鮮総連は日本で何をしてきたか
定見なき朝鮮半島外交の起源
日本は朝鮮半島にこう対処せよ


朝鮮総連工作員 『黒い蛇』の遺言状
張 龍雲(著)
小学館文庫 価格:\520(H11.11.01発刊)
田中実さん拉致を告白
在日地下組織の恐るべき活動
朝鮮総連の非公然活動の実態


北朝鮮拉致工作員 安明進(著)
徳間文庫 価格:\580(H10.03発刊)
横田めぐみさんら拉致を詳しく証言
北朝鮮工作機関の恐るべき実態
命がけで書かれた真実の証言


忘れられない女(ひと) 李恩恵先生との20か月
金賢姫(著)
文春文庫 価格:\570(H09.10.10発刊)
李恩恵(田口八重子さん)先生を助けてください
子どもを思って泣いていた田口さん
田口さん以外の日本人被害者


いま、女として 金賢姫全告白(上下)
金賢姫(著)
文春文庫 価格:\650(H06.09.10発刊)
大韓航空機爆破犯人の手記
金賢姫の教官だった田口八重子さん
日本人になりすましてテロ実行が拉致の目的


金賢姫は告発する 大韓機爆破500日後の胸の内
趙 甲済(著)
徳間書店 価格:\1223(H01.12.31発刊)
美しい乙女をテロリストにした魔力の正体
神(金日成)を否定し人間に戻った金賢姫
秘密工作員はこうして作られる


月刊「現代コリア」 現代コリア研究所
年間購読料0円(年10冊)
家族会・救う会の毎月の活動報告
日本最高レベルの北朝鮮・韓国専門誌
原稿料なしで一流専門家が寄稿する月刊誌

12/28:

Category: General
Posted by: g1ygfe9w

救う会について


家族会・救う会の拉致被害者救出運動


脱北した北朝鮮元工作員の証言で、横田めぐみさんの拉致が明らかになり、家族が実名を公表して救出運動を行なうことを決断し、平成9(1997)年3月、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成されました。その家族会を支援するために、各地で救出組織が生まれ、平成10年4月、各地組織が一体となって全国協議会として運動を行なってきました。令和3年4月現在、全国の32都道府県、1市、1青年組織、計34組織があり、役員4名、幹事33名(重複1名)となっています。
 また、超党派の国会議員(5党、衆参議席の9割超)により拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟=平沼赳夫会長)が結成され、さらに、全国47都道府県の知事が参加する知事の会(北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会=黒岩祐治会長、神奈川県)、全国43都道府県議会議員が参加する地方議連(拉致問題地方議会全国協議会=松田良昭会長、神奈川県議会議員)が結成されており、オールジャパンで救出運動を行っています。

■家族会役員
代表=横田拓也、事務局長=飯塚耕一郎、事務局次長=横田哲也

■救う会役員(令和7年2月現在)
・名誉会長 藤野 義昭、・会長  西岡 力、・副会長 江崎 道朗
・事務局長 平田隆太郎 役員・幹事計37名


山口 久芳秀人 090-3376-3309 〒755-0067
宇部市小串1899-7 久芳 愛媛 代)藤岡 敬二
担)岡本恵
089-984-7373 791-3132
伊予郡松前町西高柳255-1-1F 高知 森田 和博 088-892-5354 781-2110
吾川郡いの町5271-4 森田ビニール内 福岡 代)藤井 守人
担)本山貴春
815-0031
福岡市南区清水3-8-29-505 本山
フォーム 佐賀 代)大原 巖
担)彌吉 路
0952-60-1358 840-0843
佐賀市川原町8-15 日本会議佐賀内 彌吉 長崎 代)池田剛康
担)北村 芳正
095-823-9140 850-0006
長崎市上西山町19-3 北村 熊本 布田 悟 096-232-3321 869-1101
菊池郡菊陽町津久礼2385-5 多久 大分 麻生 栄作 097-537-7007 870-0002
大分市浜の市2-3-4 宮崎 吉田 好克 0985-84-4191 889-1606
宮崎郡清武町池田台北29-26 吉田 青年の会 山本 閉留巳 090-3901-3288 107-0052
港区赤坂2-17-22赤坂ツインタワーMBE122 山本 令和5年度各加盟組織決算報告
令和4年度各加盟組織決算報告
令和3年度各加盟組織決算報告
令和2年度各加盟組織決算報告
平成31年度各加盟組織決算報告
平成30年度各加盟組織決算報告
平成29年度各加盟組織決算報告
平成28年度各加盟組織決算報告
平成27年度各加盟組織決算報告
平成26年度各加盟組織決算報告
平成25年度各加盟組織決算報告
平成24年度各加盟組織決算報告
平成23年度各加盟組織決算報告
平成22年度各加盟組織決算報告
平成21年度各加盟組織決算報告
平成20年度各加盟組織決算報告
平成19年度各加盟組織決算報告
平成18年度各加盟組織決算報告
平成17年度各加盟組織決算報告

01/15:

Category: General
Posted by: g1ygfe9w

ブルーリボンバッジ、支援金の申込み


■ 新蝶結びバッジ(安全ピン)■ ピンバッジ
ブルーリボンバッジ ブルーリボンバッジ

振込方法

郵便振替口座

郵便局備付の振込用紙を利用し、申込み・振込できます。

●領収証は原則として、郵振用紙の記録をもって代えさせていただいていますが、必要な方はその旨ご記入ください。

銀行口座

●救う会=みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会 事務局長 平田 隆太郎(ヒラタ リュウタロウ)

●救う会の銀行口座は上記の通りです。何ら連絡をいただかない銀行振込の場合は、送り先が不明なため、バッジ申込みの受付け・送付や領収証の送付ができませんのでご了承ください。ご連絡のない振込みはすべて救う会への支援金として受付けさせていただきます。
●PayPay銀行口座をお持ちでない方で、みずほ銀行口座への振込希望の方は、下記の申込フォームの備考欄に「みずほ銀行に振り込む」と記入してメール送信してください。


09/13: 9/13 東京都千代田区

Category: kakuti
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もう我慢できない。今年こそ結果を!国民大集会

 安倍政権になって日朝協議が始まり、再調査に関する「合意文書」ができ、北朝鮮は特別調査委員会を立ち上げ、夏の終わりから秋の初めごろに最初の報告をすると約束しました。制裁と国際連携の圧力で北朝鮮を協議の場に引き出すという戦略が成功したのです。

 「もう我慢できない。今年こそ結果を!」。2月2日に家族会・救う会合同会議で決めた今年の運動方針です。今年中にぜひ結果を出して欲しいと願いますし、その可能性が見えてきました。

 しかし北朝鮮は、すべての拉致被害者を返すどころか、またもごまかしやウソで拉致問題を終結させようと考えているかもしれません。「 そんなことはできないぞ!全部返せ!」と、日本人の強い意思と怒りを示す必要があります。

 北朝鮮は今、生きている被害者の新たな「死亡」の証拠づくりをしている危険性すらあります。このような緊迫した状況だからこそ、オールジャパンの怒りの声をより一層強く上げなければならないのです。

 安倍晋三・内閣総理大臣も参加される予定です。家族会・救う会・拉致議連はもとより、担当大臣、各都道府県の知事、地方議員が集結し、下記の通り今年2回目の「もう我慢できない。今年こそ結果を」国民大集会を開催します。皆様のご参加、ご支援を心よりお願いいたします。

チラシ

こちらからダウンロード出来ます。
チラシ1
チラシ2

ライブ中継(予定)

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拉致被害者リスト



■政府認定17名と救う会認定7名



■日本国内で拉致された方(年代順)



■海外で拉致された方(年代順)

海外で拉致された方(年代順)

■平成14(2002)年10月15日に帰国した5人

平成14(2002)年10月15日に帰国した5人

■救う会認定7名

寺越昭二さん
寺越武志さん
寺越外雄さん
加藤久美子さん
古川了子さん
福留貴美子さん
小住健蔵さん
※特定失踪者問題調査会はまだ名前の分からない方々を含め拉致被害者は100名以上と推定

■拉致事件分類

1. 工作員日本人化教育の教官とその配偶者にさせるために拉致されたケース
70年 加藤久美子さん
77年 横田めぐみさん
78年 田中実さん、田口八重子さん、地村保志さん、浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、奥土祐木子さん、市川修一さん、増元るみ子さん
2.拉致した日本人を工作員として使おうとしたケース
 よど号赤軍派がヨーロッパなどで拉致
 福留貴美子さん、石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん(4件4名)
3.北朝鮮の工作活動に遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」。
 寺越昭二、外雄、武志さんは1963年石川県沖で漁に出たまま拉致(1件3名)
4.工作員が被害者になりすますために拉致する「背乗り拉致」。
 小住健蔵さん、原敕晁さん、久米裕さん(3件3名)
5.拉致の目的が上記にあてはまらない、または不明なケース
 1973年千葉県で失踪した古川了子さん、1977年拉致された松本京子さん、1978年拉致された曽我ひとみさん、曽我ミヨシさん(3件4名)


■政府がまだ認定していない拉致事件

・寺越昭二さん(当時36歳)、寺越外雄さん(同24歳)、寺越武志さん(同13歳)[昭和38年5月拉致]
 漁に出て行方不明となり、船だけが沖合いで発見された。昭和62年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮で生活している旨の手紙が届いた。昭二さんと思われる人物は拉致の現場で抵抗して射殺され海に沈められたとのこと。(救う会ニュースより)
・福留貴美子さん[昭和51年拉致]
 「よど号事件」の犯人の一人、岡本武の夫人である。モンゴルにあこがれていた。
・加藤久美子さん[昭和45年8月拉致]
 安明進氏が、1988?90年、金正日政治軍事大学内で横田めぐみさんと一緒にいた女性だと記憶している。
・古川了子さん[昭和48年7月拉致]北朝鮮の元工作員安明進氏が、91年9月ごろ、入院していた平壌郊外の病院敷地内の道で会った女性に極めて似ていると述べた。
・小住健蔵さん[昭和54年?55年頃拉致されたと推定]
 「朴」を名乗る工作員が、小住さんになりすましていたことなどが分かり、この男が旅券法違反などの容疑で国際手配されている。「朴」の部屋の保証人になった在日韓国人は、大韓機事件の実行犯の男が所持していた偽造旅券のベースになる旅券を知人に取らせたり、田口八重子さんが勤めていた飲食店に客として出入りしていたという。

■特定失踪者問題調査会は、平成26年6月2日現在、公開している特定失踪者の独自リスト271名、非公開約200名、計約470名としています。公開者の内、拉致濃厚(通称1000番台リスト) 77名 、拉致疑惑(通称0番台リスト) 194名としています。

代表団が聴取したことにつき、各家族別に説明がなされたが、その際渡
された資料を各家族の許可を得て全文掲載します。




  1. 横田めぐみさん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1977年11月15日夕方、任務を遂行し帰ろうとしていた工作員がめぐみさんと遭遇し、やむなく連れてきた。拉致は計画的ではなく、突発的な行為であった。入国地点は清津(チョンジン)。実行犯の工作員は、命令なく連れてきたことから職務停止処分を受け、その後復帰したが、2000年11月に脳出血で死亡した。
    ●入国後の生活:
    1977年11月から1981年春までは精神的安定のため平壌の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。1981年春から1986年8月までの間は、平壌郊外の招待所(平壌市順安区域の大腸里にある招待所。名前は特になく、今その招待所は使っていない。)で日本語教育に従事した。1981年から84年までの間は、田口八重子さんと一緒に生活していた。1993年4月29日から6月3日の間、8月3日からも695病院で入院治療を行った。93年9月21日までは695病院で治療を受けた。めぐみさんの精神状態を積極的に治療するため、94年3月、平壌市勝湖(スンホ)区域の49号予防院に入院させた。なお、前日まで義州の精神病院に入院させることも検討されたが、少し様子を見ようということでこの49号予防院に入院させた。
    ●死亡の経緯:
    1994年3月10日から49号予防院に入院した後、4月13日午前10時頃、予防院を散歩中、近くの松の木で首をつって自殺した。担当の医師が一緒に散歩していたが、急用で医師は事務室に呼ばれ、目を離したところ、外ががやがやしていたので確認したところ、松の木で首をつって自殺していた。ひもは事前に衣類を裂いて作ったひもを用意していた。
    ●患者死亡台帳への記載:
    患者死亡台帳における、めぐみさんの名前の記載は、今回の再調査により、後で書き込んだものであることが判明した。2002年8月頃、当該機関関係者が来て、台帳を求めたが、49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、当該機関関係者が正確でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いておいたため、番号が重なった。

    【証人からの聴取等】
    ○入院していたとされる平壌49号予防院に出向き、担当医師と面談を行うとともに、病棟内、集合墓地区域等を視察した後、入院台帳を閲覧した。また、横田めぐみさんが生活していたとされる太陽洞招待所跡を実地踏査した。
    ○夫とされるキム・チヨルジユン氏及び695病院の元医師から、当時の状況等に関する情報の聴取を行った
    ○物証=日本での生徒証1枚、自筆のメモ1枚、写真3枚
    横田めぐみさんのものとして公表された写真


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    写真についての検証等




  2. 田口八重子さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    身分盗用に利用する相手を物色していた工作員が、「青島海岸まで行こう」として田口さんを誘引した上で、1978年6月29日、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州(ヘジュ)から入境した。拉致の実行犯であるリ・チョルスは、1992年夏死亡した。
    ●生活経緯:
    1978年6月から7月までの間、地方の招待所で休息。1978年7月から1979年11月までの間、平壌市内の招待所で生活。1979年12月から1984年10月までの間、平壌市郊外及び地方の招待所において日本語教育に従事し、1984年11月から1986年7月までの間、麟山(リンサン)郡の招待所において家庭生活。特に、1981年から84年までの間は、横田めぐみさんと一緒に生活していた。夫の原敕晁さんが平壌の病院に入院してからは、田口さんも平壌郊外の招待所に移り(数カ所)、原さんを見舞った。そこで他の日本人と一緒にいた可能性もあると思う。原敕晁さんと結婚後の1984年11月から1986年7月までは麟山(リンサン)の招待所で一緒に生活していた。
    ●結婚:
    1984年10月19日に原敕晁さんと結婚した。初めは、年の差が離れているため躊躇していたが、何回か会ううちに結婚に同意するようになった。これは、調査委員会の人間が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いたものである。
    ●死亡経緯:
    夫の死亡後、精神的な慰労のため元山(ウォンサン)に行って、休息をとった後の帰宅途中、1986年7月30日、馬息(マシク)嶺において軍部隊の車と衝突して死亡した。一緒にいた運転手も含め3名全員が死亡した。
    ●事後処理:
    軍が事故後被害者を引き上げ、元山周辺の郡病院へと搬送した。軍から連絡を受けた当該機関は、元山基地に指示を出し、棺を移送する準備をさせた後、遺骸の引渡しを受けた上で葬儀を行い、夫の墓地がある麟山に合葬した。
    ●遺骸:
    1995年8月18日、豪雨により麟山郡上月里(サンウオルリ)の貯水池ダムが決壊したため、流出した。遺品は死亡当時に焼却された。
    ●田口さんの朝鮮名:
    田口さんは共和国に入国して以来、コ・ヘオクとの朝鮮名で通してきており、他の朝鮮名はなかった。

    【証人からの聴取等】
    ○695病院の元医師及び麟山(リンサン)郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。
    ○マシク嶺交通事故につき、道路管理人から事故状況について聴取を行った。
    ○物証:マシク嶺交通事故資料




  3. 原敕晃さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1980年6月17日、宮崎県青島海岸において身分盗用のために連れてきた。原さんが金儲けと歯の治療のために海外行きを希望していたところ、工作員が、背乗りのために戸籍謄本を受ける代価として、100万円と共和国への入国につき合意した。原さんが、合意を実行するため、島根県に行って戸籍謄本を持ってきたのに対し、工作員は、要求どおり、100万円と高級背広1着を渡した。旅行準備を整えて、工作員とともに大阪から青島海岸まで列車で行き、1980年6月17日夕刻、海岸に出てから船に乗って、工作員とともに入国した。入国経路について、南浦(ナンポ)ではないかとの指摘を受けもう一度確認したが、間違いなく海州(ヘジュ)だった。
    ●入国後の経緯:
    1980年6月?7月 地方の招待所において休息。1980年8月?1983年4月 平壌市郊外の招待所において朝鮮語学習、現実了解及び現実体験。1983年5月?1986年7月 平壌市郊外及び地方の招待所において日本社会及び環境に関する教育に従事。
    ●結婚:
    1984年10月19日 田口八重子さんと結婚。
    ●入国後の生活状況:
    酒を好んでいた原さんは、1984年11月ごろ、医師より、肝硬変との診断とともに、飲酒をやめて薬物治療を受けるよう勧められた。しかし、妻も飲酒を好んでいたため、酒をやめられず、病状が悪化した。
    ●死亡の経緯:
    1985年2月から695病院において何ヶ月か入院治療を行い、多少好転したものの、1986年4月初めから695病院で入院治療を行っていたところ、7月19日昏睡状態に陥り、食道静脈瘤出血により死亡した。
    ●死亡後の処理:
    妻の要求により、麟山(リンサン)郡の招待所に処置した。1995年8月18日、豪雨により麟山郡上月里(サンウォルリ)の貯水池ダムが決壊したため、流出した。墓地の所在地や流出を証明する文書は存在しない。墓地の流出時期について、以前1995年7月としていたのは、事務的な書き間違いである。
    ●遺品:
    死亡当時に焼却し、存在しない。

    【証人からの聴取等】
    ○695病元医師及び麟山郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。




  4. 市川修一さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致した。北朝鮮への入国地点は海州(ヘジュ)。
    ●入国後の生活:
    1978年8月から1ケ月は地方の招待所で精神的安定のため休んだ。1978年9月から1979年3月までの間は、平壌市郊外の招待所で朝鮮語学習、現実体験を行った。1979年4月から9月までの間は、地方の招待所で日本語教育に従事した。
    ●結婚:
    1979年7月20日、増元るみ子さんと結婚した(以前4月20日と伝えたのは、事務的な誤記だった)。
    ●死亡の経緯:
    1979年9月4日、元山(ウォンサン)海水浴場で心臓麻痺で死亡。当日午前中は曇っていたが、午後は晴れており、風もなかった。気温は高くなかったが(最高気温22.5度)、水は冷たくないことから、泳いでいる人は少なくなかった。海水浴のシーズンは毎年9月20日頃までである。市川さんは午後3時頃海水浴に来た。当時麟山(リンサン)の招待所に住んでいたにも拘わらず元山(ウォンサン)にいたのは、1979年8月末から、担当指導員と江原道に緊急出張したため。当時、元山(ウォンサン)市の松涛園(ソンドウオン)海水浴場で海水浴をしながら休んでいた。9月4日午後も担当指導員と海水浴をしていたところ、心臓麻痺にかかり、水の中に沈んだ。側にいた人や担当指導員が担ぎ出し、人民病院に連れて行き、病院で救急対策を講じたが、手遅れだった。
    ●死亡後の処理:
    当該機関関係者が棺を準備し、麟山(リンサン)郡の墓地に土葬したが、1995年8月18日の洪水で貯水ダムが崩壊し、流失した。調査委員会で人を動員したが、遺骨を見つけることはできなかった。
    ●遺品:
    焼却し、残っていない。
    ●目撃情報:
    1994年頃市川さんを目撃したというのは根拠のない話である。

    【証人からの聴取等】
    ○地域の医師《看護師及び海水浴場の出納係員から、当時の状況に関する情報の聴取を行った。
    物証:「死亡」当時の天候資料




  5. 増元るみ子さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    入国地点は海州(ヘジュ)。1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致した。北朝鮮への入国地点は海州(ヘジュ)。
    ●入国後の生活:
    1978年8月から9月までの間、精神的安定のため地方の招待所で生活した。1978年10月から1979年7月までの間、平壌市内の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。朝鮮の歌もよく歌っていた。1979年8月から1981年8月までの間、地方の招待所で家庭生活を送りながら日本の社会環境の教育を行った。結婚前の7月下旬まで、蓮池(旧姓:奥土)祐木子さんと一緒に生活していた。
    ●結婚:
    1979年7月20日、市川修一さんと結婚した(以前4月20日と伝えたのは、事務的な誤記だった。)。
    ●死亡の経緯:
    1981年8月17日、麟山(リンサン)郡の招待所で生活していたところ、心臓麻痺で急死した。当時の状況は、朝の食事の時間にも拘わらず人の気配のないことから、接待員が様子を見に行ったところ、毛布とともに床に落ちていた。若い女性の心臓麻痺は珍しく、既往症がないことは承知しているが、突然死亡した。
    ●死亡後の処理:
    関係者で葬儀を行い、夫の市川修一さんの隣りに埋葬した。1995年8月18日の洪水で貯水ダムが崩壊し、流失した。調査委員会で人を動員したが、遺骨を見つけることはできなかった。
    ●遺品:
    消却し、残っていない。

    【証人からの聴取等】
    695病院元医師及び地区担当医師から、当時の状況に関する情報の聴取を行った




  6. 石岡亨さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1980年に留学及び観光目的でヨーロッパに出国し、スペインのマドリードで松木薫さんと共に、特殊機関工作員の一人との接触過程で共和国訪問を勧められて同意し、引き連れてくる目的で、スペイン、ユーゴスラビア、旧ソ連を経由して、1980年6月7日、平壌に連れてきた。
    ●入国後の生活:
    1980年6月7日から1ヶ月間は平壌市内のホテルに滞在。1980年7月から1981年8月の間は、平壌郊外の招待所で生活し、朝鮮語の勉強、現実体験を行った。1981年8月から1988年10月頃までは、平壌郊外の招待所で日本語教育に従事した。1988年11月3日、「静かな所に行きたい」との理由で煕川(ヒチョン)市の招待所に担当指導員が同行し移った。
    ●結婚:
    1985年12月27日、有本恵子さんと結婚した。
    ●死亡の経緯:
    1988年11月4日、煕川(ヒチョン)市の招待所で就寝中、ガス中毒で死亡した。発見日時は、11月4日午前8時頃。発見の経緯は、朝食の時間を過ぎても部屋から出てこないことから、招待所の指導員がドアを開けたところ、部屋はガスで充満していた。家族3名既に死亡していた。事故があった招待所は、1989年秋に撤廃した。関係者は処罰され除隊した。
    ●死亡後の処置:
    695病院の医者と当該機関関係者が現地に出向き、部屋のかまどを調べたところ、床に細い亀裂が生じており、そこからガスが漏れていた。招待所で葬礼を行い、周辺の山に土葬した。遺体は、煕川(ヒチョン)市平院(ピョンウォン)洞に葬られたが、1995年8月の土砂崩れで流出し完全に流された。
    ●遺品:
    本人の写真1枚が残っている。パスポートは探し出すことができなかった。
    ●その他の説明:
    (手紙の投函)


    • 1988年8月、石岡さんが担当指導員と平壌商店でショッピング中、担当指導員が席を外した時に偶然ポーランド人に出会った。石岡さんは同ポーランド人に自分を紹介し、故郷に安否を伝える手紙を託した。石岡さんはこの事実を後ほど担当指導員に伝えた。当時の担当指導員は、投函を阻止できなかったことから処分(除隊)された。



    • 石岡さんはウィーンから手紙を送ったことになっているが、事実はマドリードで書いた手紙を工作員に手渡し、工作員がウィーンで投函した。手紙の内容に「欧州の社会主義諸国を見回りたい」と書かれているのは、日本では自由に出来なかったためである。本人の意思に従って自ら入国した。






  7. 有本恵子さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1982年留学のため英国に出国。特殊機関メンバーの一人が接触し、 工作の過程で共和国に行ってみないかと言うと、?度行ってみたいと言ったことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的でイギリス、オラダ、デンマーク、旧ソ連を経由して、1983年7月15日平壌に連れて行った。
    ●入国後の生活:
    1983年7月15日から8月初旬まで、蒼光山(チャングァンサン)ホテルに滞在しながら、市内参観を行った。市内参観は、平壌市内や地方の史跡、博物館、展覧館等を参観地とした。参観は、主な記念日等に本人の要求と希望等に従って行われた。1983年8月始めから1984年8月頃までの間は、平壌郊外の招待所で朝鮮語を勉強し、現実体験を行った。1984年9月初旬から1988年10月まで、平壌郊外の招待所で日本語教育に従事した。
    ●結婚:
    1985年12月27日石岡亨さんと結婚。その後、季ヨンファという名前の娘を出産した。
    ●死亡の経緯:
    夫の石岡亨さんと同じ。
    ●遺品:
    写真1枚、パスポートを既に日本に引き渡した。
    ●その他:
    (よど号犯の関与)
    「よど号」メンバーの関与に関して、特殊機関において妄動分子の尋問資料も調査したが、同メンバーらが関与した証拠を見出すには至らなかった(石岡亨さん、松木薫さんも同じ)。
    【証人からの聴取等】
    ○煕川(ヒチョン)の招待所料理人(当時)及び担当指導員(当時)から、当時の状況に関する情報の聴取を行った(担当指導員に対しては書面で質問し、調査委を通じ口頭で回答を受領)。
    ○物証:煕川(ヒチョン)招待所の略図、「死亡」当時の天候資料




  8. 松木薫さん
    【北朝鮮側からの説明】
    ●入国経緯:
    1980年留学と旅行のためにヨーロッパへ出発。スペイン・マドリードにおいて石岡亨さんとともに北朝鮮の特殊機関工作員と接触する過程で、北朝
    鮮入国に同意した。特殊機関工作員が日本語教育に引き入れる目的でスペインからユーゴ、旧ソ連を経由し、1980年6月7日、平壌に連れてき
    た。
    ●入国後の生活:
    1980年6月から1ヶ月間、平壌市内のホテルに泊った。1980年7月から1982年10月頃まで平壌郊外の招待所で生活。1982年11月頃から1996年7月頃まで平壌郊外の招待所で、日本語教育、資料翻訳に従事した。
    ●死亡経緯:
    1996年8月23日、両江(リャンガン)道の革命史跡の調査に行く途中、車が転落し、火災事故により死亡した。特殊機関傘下の咸南(ハムナム)地区の車輌で、車種はトヨタ黒咸南(ハムナム)109。運転手は担当指導員であった。担当指導員と一緒に朝9時頃、平壌を出発し、咸鏡南道(ハムギョンナムド)に17時ごろ到着した。車の状態がよくなかったので、夕食後、車を乗り換え、20時頃出発した。22時から23時頃に死亡したと認定された。翌朝、人民軍の運転手が松木さんを発見し、軍の案全部に通報した。
    ●遺体の処置:
    人民軍が用意した棺に松木 薫さんと運転手の2人の死体を入れ、近くの墓地に安置。埋葬地は、1996年8月24日、北青(プクチョン)郡梧坪里(オッピョンリ)(土葬)。死体がかなり損傷しており、現地に埋葬せざるを得なかった。当初は誰かが火に焼けた死体を見て間違って火葬したと発言していたことが判明。2002年7月14日、北青(プクチョン)郡人民委員会で、豪雨により破壊された道具の被害復旧作業を行っていた際、一部の遺骨が発見されその中には松木薫さんの骨があると判断した為、発掘遺体を平壌に運ばせて、火葬した後、彼の名前で保管した。2002年9月、日本代表団に本人の遺骨であるかどうか確実ではないと言いつつ提示した。
    ●遺品:
    日本語教育のための教材として使われた劇のシナリオ「出航」及び写真1枚。それ以外は死後招待所で焼却処分したため、残っていない。
    ●手紙の投函:
    ウィーンで投函されたものではなく、松木さんが既にマドリードで書いたものを関係機関の人間がウィーンに行って送付したもの。

    【証人からの聴取等】
    ○平壌市郊外招待所料理人(当時)から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。
    ○物証:トチョル嶺交通事故資料、書籍1冊、写真1枚












Posted by: mailnews
■横田めぐみさんのものとして公表された写真
[A]

jpg画像[49KB]
http://www.sukuukai.jp/shiryo/paper08/img/yokotamegumi-3_l.bmp

[B]

jpg画像[49KB]
bmp画像[576KB]

[C]

jpg画像[49KB]
bmp画像[576KB]

■画像専門家が偽造と指摘した写真



偽造の根拠?写真家の指摘(写真[A])


  • めぐみさんの影と背景の木の影の向きがまったく違う




  • その近くの樹木の陰はめぐみさんの影に合わせて修正したのにここだけ修正をミスした。




  • めぐみさんの右肩のコート襟(影の部分)が直線に切られている。自然界に直線はない。




  • 背景の中で、左下の道路と樹木を分ける道路の際も直線になっているのが不自然。




このホームページを見た専門家から写真[A]についてのご指摘の一部(H16.11.18)


  • 素足の影なのに、左右の足の影の幅が異常に違う(画像処理専門家)




  • めぐみさんの足まわりに白いふちどりがあるのは切り張りの証拠(WEBデザイナー)




  • 背景の街路樹の陰に比べめぐみさんの影が薄いのは切り張りの証拠(広告制作業)




  • 人物の周囲の木がモヤモヤとしている。これはぼかしではないか(古い写真の修整・合成専門家)




めぐみさんのモノクロ写真について(写真[B])


  • めぐみさんだけに影がない(テレビ局)




  • めぐみさんの頭と両肩が脱色している。これは背景が明るい場所で撮影しその照りが乗ったもの。修整しないで画像を移すとこうなる(古い写真の修整・合成専門家)




  • この写真の背景は金正日政治軍事大学のキャンパス内である。この写真の石垣のところに、傾斜した溝があり、その下の溝が土砂でつまってしまうのでよく取り除く作業をさせられた。背景の後ろに印刷所があり、学生は入室できないが、日本人教官は教科書を作る関係で入室できた。手前の道路は、狭い道で自動車は道路に並行に駐車する筈で、この角度で駐車すると他の自動車が通れなくなるので不自然。また、めぐみさんの身長に比べて自動車が大きすぎる(安明進氏・元北朝鮮工作員)。





めぐみさんのカラー写真について(写真[A])


  • このめぐみさんの顔は私が金正日政治軍事大学で87年から88年にかけて見た顔とそっくり(安明進氏・元北朝鮮工作員)。



めぐみさんの写真を見た方の証言(H16.11.22)

79年後半?80年始めに大阪でプレタポルテの縫子をしていた方からの情報



  • めぐみさんが着ていたコートは2種類とも自分たちが縫ったものとそっくり。




  • 当時、白いコートはバーバリーのコートと呼び、黒い方はウールコートと呼んでいた。




  • 前たて、ボタンホールの位置などに特徴があり、縫ったデザインそのもので、これは当時の縫子が見ればみんな気づく筈。




  • 上司は、このコートを、鳥取・新潟へ出荷し、北朝鮮へ送ると言っていた。


救う会・平田事務局長コメント



写真[A]は、今回の実務者協議で北朝鮮が出してきためぐみさんの写真の3枚のうちの1枚であるが、めぐみさんを拉致したことを北朝鮮が新たに明言したとい うことになる。
この写真では、一緒に移っていた人物または背景を見せたくなかったので、人物 だけを切り取り、別の背景の上に重ねたと思われる。
その際、背景の写真の影もめぐみさんの影に合わせて変えたが、1か所だけミス してしまったのではないか。
北朝鮮は、写真をしばしば偽造することで知られている。
この偽造写真により、「キム・チョルジュン氏」が今回、実務者協議参加者に見 せながら提供を拒否した2枚の写真(めぐみさんと「キム・チョルジュン氏」、 及び二人にヘギョンさんが加わった写真)も偽造の可能性が出てきた。 すなわち、人物を入れ替えた可能性があるのではないか。
写真提供を拒否した理由は、「キム・チョルジュン氏」をめぐみさんの夫である と思わせ、その「夫」に「めぐみさんは死んだ」と偽証させることが目的である と推測される。
北朝鮮が悪質な手段でめぐみさんの物証を偽造せざるを得なかったとすれば、め ぐみさんが今も生存していることの証しとも言える。
情報を寄せていただいた写真の専門家の方に感謝したい。


救う会・平田事務局長コメント2


  • これだけ疑惑指摘が出ているので政府はしっかり鑑定してほしい。




  • めぐみさんのカルテが695病院のものとして今回提供された。この病院は政治軍事大学にある病院で、めぐみさんが同大学に密接と関わっていたことが判明したと言えるのではないか。




  • 安明進氏は既に、「88年から91年にかけてめぐみさんを金正日政治軍事大学で何度も見た」と証言したが、その証言の信憑性がますます高まった。




  • 実務者協議で北朝鮮は、「めぐみさんは81年春から86年8月まで太陽里にある招待所」で日本語の教官をしたとし、それ以外に教官をしたとの情報を提供していない。これは、安明進証言を否定するため、意図的に本校との関係を消そうとしたものではないか。




  • 「めぐみさんの足まわりに白いふちどり」は、デジタル加工前の普通の写真でも肉眼で確認できます。




  • この写真は、政府が北朝鮮から提供された現物をスチール(=写真)撮影し、横田家にコピーを渡したものです。




  • その写真をデジタル化するために300dpiでスキャナーによる読み込みを行い、ホームページに載せました。(後日600dpiを掲載予定)





ご指摘を頂いた多くの専門家の方々に心より感謝いたします。

Category: 2021
Posted by: g1ygfe9w
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2021.07.20)

■家族会・救う会がシャーマン米国務副長官と面会

本日(7月20日)、家族会・救う会代表が訪日中のウェンディ・シャーマン米国
国務副長官と面会した。面会は午前、都内の駐日米国大使公邸で約45分にわたり
実施された。

米国側は、ウェンディ・シャーマン米国国務副長官、レイ・グリーン駐日米国臨
時代理大使、ムスタファ・ポパル国務副長官首席補佐官、モーク・ランバルト国
務次官補代理、エドガード・ケーガンNSC上級部長、タオ・アン・トラン国務副
長官特別補佐官、ブーヨン・リー駐日米国大使館政務参事官代行らが出席した。

家族会から、横田早紀江さん、横田拓也事務局長、飯塚耕一郎事務局次長が、救
う会から西岡力会長が出席した。また、政府から三ツ林裕巳内閣府副大臣、石川
正一郎拉致問題対策本部事務局長、實生泰介外務省アジア太平洋局参事官、山口
大治拉致問題対策本部政策企画室長らが同席した。

米側出席者はシャーマン副長官、グリーン大使をはじめとする全員が、胸にブル
ーリボンバッチをつけていた。バイデン政権が拉致問題を重視しているあらわれ
と思われ、家族会・救う会は励ましを得た。

面会では副長官の希望もあって、家族会・救う会の訴えをじっくり米側が聞いて
下さった。そして、1日でも早く横田めぐみさん、田口八重子さん、それ以外の
被害者が日本で待つ家族のもとに帰れるように米国も変わらず支援するという力
強い約束をして下さった。


写真提供:駐日米国大使館
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★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■菅首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅義偉殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
Category: kakuti
Posted by: g1ygfe9w

政府に今年中の全被害者救出を再度求める 国民大集会

 家族会・救う会は今年1月、「これ以上待てない ! 政府に今年中の全被害者救出を再度求める !」との運動方針を決め、安倍総理、加藤大臣等に要請しました。すべての拉致被害者の帰国をめざして、全力で運動を進めてきましたが、認定被害者の拉致から既に40年以上が過ぎ、被害者はもとより、被害者の親の世代は2家族のみとなり、一部の兄弟の世代も高齢化しつつあります。
 この2年間、北朝鮮は3回の核実験と40回に渡るミサイル発射を断行したため、国際社会は昨年8月、9月、12月に北朝鮮に強力なダメージを与える国連決議を採択しました。
 このような中で、家族会・救う会・拉致議連等の必死の訴えなどもあり、米国を初めとする国際社会は、拉致問題についても強い理解を示すようになりました。北朝鮮は輸出の9割を禁止とされ、石油製品の輸入も9割が禁止となりました。
 家族会・救う会は、このような「緊迫する情勢をてこにして、救出のための実質的協議を行え !」という運動方針も決めました。日本が北朝鮮に制裁で強い意志を示すと共に、北朝鮮が全被害者の帰国を決断した上で、実質的交渉に応じるならば、「見返り」もありえるという見解を示しています。
 安倍総理は、「北朝鮮が拉致問題を解決すれば未来を描くことができる」との新しいメッセージを出しています。拉致被害者は救出を待ち続けています。政府には、今年こそ全被害者の救出を果たしていただきたいと思っています。
 国民大集会を下記により開催します。お知り合いの皆様にもお声掛けをしていただき、奮ってご参加ください。
 なお、国民大集会のチラシを地域の掲示板や店内等に掲示してくださる方は、救う会までご連絡ください。すぐにチラシを送らせていただきます。

 チラシのダウンロードはこちらから

と き

平成30年4月22日(日)午後2時から4時半まで

開 場

午後1時(先着順)

ところ

砂防会館別館1階、シェーンバッハ・サボー
東京都千代田区平河町2-7-4 TEL:03-3261-8386
地下鉄永田町駅(有楽町線・半蔵門線・南北線)4番出口徒歩1分
5番出口(都道府県会館前)はエレベーターあり
赤坂見附駅(銀座線・丸ノ内線)が永田町駅に接続

登壇者

櫻井よしこ(司会)、安倍晋三総理大臣(要請中)、加藤勝信・拉致問題担当大臣、家族会・救う会役員、拉致議連役員、知事の会代表、地方議連代表、 各党代表、調査会役員と同家族

参加費

無料(会場カンパ歓迎)

地図はこちら

Category: 2020
Posted by: g1ygfe9w
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2020.06.08)

 本日、令和2年6月8日に、故横田滋さん告別式が行われました。以下はその
際、横田 滋さんとの思い出について西岡力救う会会長が語った言葉です。

■横田滋さん告別式の際の言葉?西岡力

 私もキリスト者の末席を汚す者ですので、聖書の言葉をまず引きます。

 新約聖書エペソ書2章8?10節

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自
身から出たことではなく、神からの賜物です。

 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあっ
て造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないを
もあらかじめ備えてくださったのです。

 滋さんとお目にかかって23年以上が経ちます。滋さん、早紀江さんご夫婦と、
日本全国そして米国、韓国などさまざまなところにご一緒させていただきました。
その中で、日曜日にあたり、なおかつ少し時間の余裕があるときは早紀江さんと
近所の教会に行ったり、ホテルにて二人で聖書を開き祈る時をもつことがありま
した。そのとき、滋さんはあまり良い顔をされませんでした。

 「早紀江がキリスト教を信じることは、それがなければ悲しみのため精神がお
かしくなったかも知れないから良かったと思う。しかし、自分は信じない。神が
いるならなぜ、愛する娘を突然奪うこのような不条理を許しているのか。どの神
さまでも拝んだらめぐみを連れてきてくれるなら拝みます。神は弱い人間が心の
安定を図るために拝むものだ。一番苦しいのは北朝鮮にとらわれている娘だ。彼
女が苦しんでいるのに、父である自分だけが宗教に頼って心の安定を得たら申し
訳ない」

 このような趣旨のことを話されるのを何回か聞いたことがあります。ただの人
間にしか過ぎない私には、なぜ、神さまがめぐみさんと横田滋、早紀江ご夫妻に
このような過酷な試練を与え、いまだに解決を与えないことについて、理由を説
明できません。わからないことの方が多いです。しかし、滋さんがキリストを信
じて洗礼を受けられました。それは滋さん本人や早紀江さんなどの努力によるも
のではありません。滋さんが良い行いをしてきたことへの報いでもないです。た
だ、不思議な神さまの賜物、プレゼントでした。

 しかし、聖書は言います。人にはこの世でなすべき良き行いがあらかじめ備え
られている。滋さんにとってそれは強いられた「良い行い」だったかもしれませ
ん。しかし、その道を勇敢に戦い抜きました。よくやった、もうこれくらいでい
いよ、天国で休んでめぐみさんを待ちなさいと神さまに言われて、天国に旅立ち
ました。

 滋さんは戦い続けました。23年間、私もすぐ横でともに戦ってきたのでその勇
敢さがよく分かります。安倍晋三総理大臣も〈滋さんとは本当に長い間、めぐみ
さん始め、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、共に戦ってまいりました〉
と6月5日に会見で話されました。すぐ横で敵と戦っていた戦友が倒れたかのよう
な感覚です。

 滋さんの戦いを一言で言うとウソとの戦いでした。平成9年、めぐみさんが北
朝鮮に拉致されていることが明らかになったとき、北朝鮮は、拉致はないとウソ
をつき、日本国内でもまさか外国の工作員が日本までやってきて13才の少女たち
を拉致するはずはないという、北朝鮮の政治宣伝に同調する勢力が圧倒的多数で
した。大きなタブーがありました。そのとき、被害者に危害が加わるかも知れな
いという恐怖の下で、滋さんは実名を出して訴えるという勇気ある決断を下しま
した。それを見て、ここにいらっしゃる方がたをはじめとする他の家族も勇気を
出して実名公表に踏み切り家族会ができ、その勇気に感動した私たち少数の専門
家や有志がやはりここにいらっしゃる櫻井よしこ先生の力添えを得て、全国で救
う会をつくって救出運動が始まりました。

 小泉訪朝の数年後、お酒も入った懇談の席で、救う会の当時の佐藤勝巳会長と
私が滋さんに叱責されたことがあります。平成9年1月滋さんが実名を出すという
決断をする前に、救う会の母体になった現代コリア研究所がネットに新潟日報の
報道を引用する形で横田めぐみという実名を明らかにしていたことを、なぜ、家
族の了解なしにそのようなことをしたのかと責められたのでした。そのとき、私
と佐藤会長は申し訳なかったと謝罪した上で、だからこそ、世論を盛り上げてめ
ぐみさんたち全員を取り戻す運動をさいごまでいっしょに続けますとお誓いしま
した。

 ちなみに私は西村真悟議員が平成9年2月国会でめぐみさん拉致について初めて
質問する際、実名を出すかどうか、専門家の西岡の判断に任せるといわれ、胃が
キリキリするほど悩みました。そこで、政府の治安当局の専門家にこのような質
問をしたらきちんと答弁してくれるかと事前に問い合わせをしました。政府答弁
が「知らない」などという冷たいものだと、北朝鮮は日本政府はめぐみさん拉致
について証拠を持っていないと考えて、証拠隠滅のために被害者に危害を加える
危険が高まると判断したからです。そのとき、当局の専門家は、ぜひ質問してほ
しいと言って、大韓機爆破事件の犯人の金慶姫さんの本の中に、「拉致された日
本人少女は洗濯も自分でできなかった、と招待所で聞いた」という記述があるこ
とを教えてくれました。政府はめぐみさん拉致について証拠を持っているなと実
感したので西村先生に実名を出しましょうとお伝えしたことを覚えています。

 滋さんと私たちが戦った第一のウソは、拉致など存在しないというものでした。
産経以外の全てのマスコミが拉致疑惑と書いて、北朝鮮側の言い分と私たちの言
い分を両論併記していました。街頭署名をしているとビラを投げ捨てて踏みつけ
たり、署名用紙をたたき落とされたりしました。冷たい視線を送って無視される
ことが普通でした。それでも全国どこでも行くという姿勢で、各地で救う会の仲
間と集会を開きました。新幹線と特急を乗り換えて4時間近くかけて到着した会
場に待っていたのは10人未満ということもありました。集会出席者より警備の警
官の方が多いこともありました。それでも愚直に、娘が拉致されています。どう
か世論を盛り上げて救出して下さいと滋さんは訴え続けました。そして、2002年
9月、拉致を命じた金正日が小泉首相に拉致したことを認めて謝罪するという大
きな成果がありました。拉致は存在しないというウソを打ち破ることができたの
です。

 しかし、そのとき北朝鮮は拉致したのは13人だけでめぐみさんたち8人は死亡
した、蓮池さんたち5人は返したから拉致問題は解決したという新たなウソをつ
きました。残念なことに、日本国内でも死亡を認めて日朝国交正常化に向かうべ
きだと考える勢力が出てきました。新しいウソに対する滋さんと私たちの戦いが
続きました。

 温厚な滋さんは人の前で怒りをあらわにすることはほとんどありません。しか
し、私は滋さんが顔を真っ赤にして激怒して記者会見に臨む姿を2回、覚えてい
ます。

 1回目は平成14年9月、小泉訪朝の当日に政府から呼び出されて、お宅の娘
さんは亡くなっていますと断定形で通報された翌日、平壌から戻った外務省幹部
に面会して、「死亡を確認する作業は行っていない」という衝撃的な事実を告げ
られ、「人の命をここまで粗末に扱うのか」と激怒されていました。

 2回目は平成16年12月、めぐみさんの遺骨と称されるものから、めぐみさ
ん以外の2人のDNAが検出されたときです。北朝鮮の説明はすべてでたらめだと語
気を強めて批判していました。

 この二つ目のウソを打ち破るため、滋さんと私たちは日本国としての怒りのメッ
セージを伝えるため経済制裁を発動してほしいと炎天下の国会前で座り込みをし
ました。また、繰り返し訪米、国連訪問、韓国、タイ、ルーマニア、レバノン、
米国などの拉致家族との交流を行い国際連携を強めました。

 平成18年、第一次安倍政権が成立すると、私たちが運動の最初から求めてきた、
政府に拉致を専門に担当する部署ができました。拉致担当大臣とその下の事務局
が新設されたのです。また、北朝鮮人権法が成立し、政府と地方公共団体が拉致
問題の啓発行事を行うことが義務づけられました。世論を動かすという滋さんの
決断が生んだ大きな成果でした。

 しかし、超過密スケジュールは滋さんの体をむしばんでいきました。早紀江さ
んや二人の息子さん、そして私などが繰り返し、すこし休んで下さいとお願いし
ましたが、滋さんはそれを聞き入れて下さらなかった。そして、平成28年頃から
体調を崩し、対外活動がほとんどできなくなりました。ついに2年前に倒れて入
院されました。毎年2回、総理大臣を迎えて開催してきた国民大集会では最後の
出席が平成28年の9月でした。平成30年4月の国民大集会では不自由な体の中、次
のようなめぐみさんへのビデオメッセージを寄せて下さいました。

〈めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で、かならず解放されると信じて、
今めぐみが隣の部屋で、待っているようなと、同じような感じがします。もうす
ぐ会えるかもしれませんが、体だけは気を付けていてください。もうほんのわず
かですから、がんばってください。〉

 その集会で司会をしていた私は次のような反省の言葉を述べました。その気持
ちは今も変わっていません。

〈私は少し反省をしています。我々はこの間20年間運動をしてきましたが、家
族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会
の人に「頑張ってください」という声がかかります。

 そうではないはずです。今滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被
害者に、「もう少しですよ、頑張ってください」と言わなければならないんです。
そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が
一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのを我々が
助けるのではない。

 しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今
あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の
身をすり減らして、ここにも来られないような身体になられた。

 それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動を我
々がしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。
「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような運動をしなければな
らなかった。

 そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないのです。これか
ら家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうに
いる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想
像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けよう
ではありませんか。〉

 滋さんは我が身をすり減らして世論に訴えるという戦いの先頭に立たれました。
それが滋さんに準備されていた「良き行い」だったと私は信じます。神さまがも
ういいよ、あなたは良くやった、あとは任せて天国で休みなさいと滋さんを天国
に召されました。

 だからこそ、残された私たちがこの戦いを勝利して、めぐみさんたち全被害者
の即時一括帰国という絶対譲れない課題を実現させなければならない、そう決意
を固めています。滋さん、どうか天国でめぐみさんたちが帰ってくることを見て
いて下さい。かならず、みなの力で助け出します。

以上

【提供=横田拓也さん】
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■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会

いつもありがとうございます。
 令和3年11月13日(土)に、砂防会館別館1階大ホール「シェーンバッハ・サボー」で国民大集会を下記の通り開催します。
 なお、ご参加の場合は、マスクを必ず着用し、発熱(37.5℃以上)や体調不良(咳等)がある場合は、ご参加をお控え願います。また、厚生省の新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)がホームページで簡単に見つかりますので、スマホに入れてご参加ください。
 入り口で検温とアルコール消毒も実施します。チラシについている参加票にお名前、住所、電話番号を記入してお持ち下さるか、入り口で参加票にご記入をお願いします。 チラシのPDFはこちらです

と き

令和3年11月13日(土)午後2時から4時まで

開 場

午後1時(先着順)

ところ

砂防会館別館1階、シェーンバッハ・サボー
東京都千代田区平河町2-7-4 TEL:03-3261-8386
地下鉄永田町駅(有楽町線・半蔵門線・南北線)4番出口徒歩1分
5番出口(都道府県会館前)はエレベーターあり
赤坂見附駅(銀座線・丸ノ内線)が永田町駅に接続

登壇者

岸田文雄総理大臣(要請中)、
松野博一官房長官・拉致問題担当大臣(要請中)、
家族会・救う会役員、拉致議連役員、知事の会代表、地方議連代表、
各党代表、特定失踪者家族会代表

参加費

無料(会場カンパ歓迎)

備 考

 なお、ご参加の場合は、マスクを必ず着用し、コロナ対策のため参加者票をこちらかダウンロードして印刷の上必要事項をご記入の上ご持参下さい。発熱(37.5℃以上)や体調不良(咳等)がある場合は、ご参加をお控え願います。また、厚生省の新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)がホームページで簡単に見つかりますので、スマホに入れてご参加ください。

地図はこちら

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拉致被害者の即時一括帰国を!私たちは決して諦めない! 国民大集会

 昨年12月に家族会代表として14年間、運動の先頭に立ってきた飯塚繁雄さんが亡くなりました。 飯塚さんは最後の訴えとなった昨年11月の国民大集会の挨拶で3回も 「諦めない」 と語りました。 その言葉は、家族も含め拉致被害者の帰国を望む全ての人々の気持ちを表しています。 私たちは絶対諦めない、諦めるわけにはいかないのです。
 現在北朝鮮は、 ?経済制裁による外貨枯渇、 ?コロナ蔓延、 ?台風と豪雨による水害、 ?金正恩の健康不安、?中朝国境封鎖 (1月16日から貨物列車一部再開)、 ?住民と幹部の不満と反体制勢力活動の6重苦で追い詰められてます。にも関わらず、国民の動揺を抑えるため、 またなんとか対米交渉を実現したくて大陸間弾道ミサイルをまた発射しました。
 他方、ロシアがウクライナを侵略しましたが、 その開始前に1週間で終えると北朝鮮に通報しています。ところが、戦争が長期化しつつあり、旧ソ連製兵器で武装している北朝鮮人民軍も弱いのではないかと金正恩は不安に脅えてるそうです。
 5月29日に、私たちは 「全拉致被害者の即時一括帰国を! 私たちは決して諦めない! 国民大集会を開催します。今も国際社会は北朝鮮に対し最高度の制裁を維持しています。 「先圧力、後交渉」 に基づきなんとしてもこの厳しい制裁を背景にして日朝首脳会談を開かせなければなりません。
 北朝鮮が日本から多額の経済支援を得るためには親の世代の拉致家族が健在のうちに全被害者を一括して帰するしか道はないのです。親の世代が被害者と抱き合うことなしには、日本人の怒りは解けず、支援はあり得ないことを、北朝鮮の最高指導者に伝えることが、 今大切です。 救出のシンボルのブルーリボンバッジをつけてぜひ、みなさん国民大集会にお集まりください。
 なお、ご参加の場合は、マスクを必ず着用し、発熱(37.5℃以上)や体調不良(咳等)がある場合は、ご参加をお控え願います。また、厚生省の新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)がホームページで簡単に見つかりますので、スマホに入れてご参加ください。
入り口で検温とアルコール消毒も実施します。チラシについている参加票にお名前、住所、電話番号を記入してお持ち下さるか、入り口で参加票にご記入をお願いします。 チラシのPDFはこちらです

と き

令和4年5月29日(日)午後2時から4時まで

開 場

午後1時(先着順)

ところ

砂防会館別館1階、シェーンバッハ・サボー
東京都千代田区平河町2-7-4 TEL:03-3261-8386
地下鉄永田町駅(有楽町線・半蔵門線・南北線)4番出口徒歩1分
5番出口(都道府県会館前)はエレベーターあり
赤坂見附駅(銀座線・丸ノ内線)が永田町駅に接続

登壇者

櫻井よしこ(司会)
岸田文雄総理大臣(要請中)、
松野博一官房長官・拉致問題担当大臣(要請中)、
家族会・救う会代表、拉致議連代表、知事の会代表、地方議連代表、
各党代表、特定失踪者家族会代表

参加費

無料(会場カンパ歓迎)