III.水増し統計を発表し続ける理由
6.独裁国家への「人道支援」は非人道
◆WFPが対北食糧支援を開始した経緯
FAO(国連食糧農業機関)とWFP(国連世界食糧計画)が北朝鮮に食糧支援を開始したのは1995年である。この年北朝鮮は、大水害に見舞われた。北朝鮮では以前から食糧不足が続いていたが、1994年以降、食糧が大幅に不足し、1998年までに約300万人もの餓死者が発生した。しかし、北朝鮮では、自力更生が強調され、国際社会に支援を要請したり、緊急支援を受けること自体、否定的に考えられてきた。また対外的に、自国の弱みを見せることをタブーとする国家であった。
そういう北朝鮮が国際支援を受けるきっかけとなったのは、たまたまFAO(国際連合食糧農業機関)の本部(ローマ)に北朝鮮のスタッフが派遣されており、「WFPから無償支援を受けることができる」ことを本国の上司に報告したことに始まる。北朝鮮はこの「勇気ある」提言を受け入れ、結果として大量の食糧支援を得た。この提言をした人物は現在脱北して韓国に居住しており、このことで彼は北朝鮮当局から高く評価されたと証言している。
食糧支援のために日本から初めてNGOが訪朝したのは1995年12月末であった。筆者を含め2人が派遣され、北朝鮮各地の大水害対策委員会関係者や農業省担当者等から説明を聞いた。
どの地域でも、「我々は金正日将軍様を中心に固く団結しているので自分たちは主体的に生きていける」と強調した。 まだ国際支援にどう対応していいか分からない時期で、自力更生を強調した上で、最後に一言、「しかし支援には感謝する」と言っていた。
なお、外部社会に対し「自力更生精神」を強調しなくなったのは1997年頃からであった。北朝鮮は、飢えてやせ衰えた子どもの映像など、悲惨さを強調する写真等を積極的に見せるようになった。「その方が国際支援を獲得しやすい」ことを学習したからであろう。
筆者も、それまでは不可能だった一般住民との自宅での対話を1997年から経験している。しかし、1998年 8月時点でもなお、大水害対策委員会の幹部は筆者に、「外国が本当に支援してくれるだろうか」と不安感をもらしていた。
北朝鮮は、国連機関に統計情報を提供したり、国連機関、NGOに被災地を公開したり、被害速報を行うなどのリスクを冒した割には、期待したほどの支援量がこない、つまり状況が改善されていないと感じていたようである。
しかし、北朝鮮当局は援助食糧を確保するために積極的になった。元北朝鮮外交官の脱北者は、対北支援食糧が組織的に軍隊へ送られていると証言した(金東洙・国家安保統一政策研究所責任研究委員論文、「北朝鮮の外交政策決定過程と『常務組』運営実態」、2009年2月)。
北朝鮮は、「国際社会からの各種支援を引き出す政策を樹立する」、「大水害対策委員会」を駆使し、「農業省は援助に必要な各種農業資料などを用意し」、「人民保安省は、援助地域の住民監視の責任を負い、人民武力省等は援助物資を軍部隊や特殊軍需工場などに運ぶ役割を担当して、援助食糧や物資を横取りする作業を遂行した」と証言している。
しかし、国際社会は2006年、2009年の北朝鮮によるミサイル連射、核実験を受けて援助を控えるようになり、現在は中国を除く外部支援は限られたものになっている。
以来、本年2012年現在、国連機関の北朝鮮への「緊急」食糧支援は足掛け18年目に入った。未だに現物支援が続いており、自力生産量を高めるための構造的支援や技術支援に移れないでいる。以下に、これほどまでに長引いた国連機関による食糧支援の問題点について述べてみたい。
◆配給のモニターではなく消費のモニターを(コメよりご飯を)
WFPは1995年から北朝鮮に食糧支援を行うに当たって、モニタリングの受け入れを要請した。つまり配給の監視である。そして、北朝鮮が受け入れを「決断」した結果、食糧支援が開始された。その結果、「約8割の地域でモニタリングが可能になり、必要としている人にほぼ確実に食糧が届くようになった」とWFPは報告している。
そして、最も支援を行っていた2000年には、北朝鮮全土に6つの事務所を置き、約50名の駐在員を置いて配給を行った。年間支援量は、95年の60万トンが次第に増え2000年には100万トンになった。2000年にWFPは83か国に計370万トンの食糧支援を行ったが、その内、北朝鮮には1国で約100万トンもの食糧支援を行った。当時WFPの職員・スタッフは全世界で約5000人であったが、北朝鮮には約50人。わずか50人で700万人以上の人々を対象に100万トンものモニタリングを行ったと主張した。
しかし50人では、1万トンのモニタリングですら難しい。1万トンなら4トン車2500台分。50人全員がモニタリングに当たったとしても、一人当たり50台分のモニターをしなければならない。筆者の経験からしても、WFPスタッフがモニターできるのは一部地域の一部住民への配給だけで、大半はモニターなしで現地スタッフ任せとならざるをえない。それが何を意味するかは容易に想像がつく。
また、2000年当時、世界で8億人の人が飢えていたとされるが、370万トンの支援食糧の内、北朝鮮に100万トンが集中支援された。そうなった理由は、主として隣国の韓国と日本が、北朝鮮を指定した支援に応じたからである。日本政府はWFPという国連機関を通じて支援すれば、配給の公平さの問題で批判をかわせると思ったのであろう。日本からの大量の支援について、当時の外務事務次官は、後日の記者会見で、「支援物資が支援を必要とする人々に届いており、日本からの支援であることが認識されている」(2004.11.8)と述べたが、わずか4人の担当者を派遣して「必要とする人々に届いた」と胸を張れる訳がない。
なお、日本政府は、2000年3月に10万トンのコメ支援を実施したが、同年10月、WFPがさらに19万トンを要請したのに対し、50万トンを追加支援した。要請の3倍弱の食糧を送ったのは、日本国内の食糧倉庫に備蓄されていた余剰食糧の一部を精算し、備蓄費を減らしたものと批判された。
また、日本政府は当初、国連機関を通さず北朝鮮に直接大量の食糧支援を行った。この場合は、配給は北朝鮮政府にまかされる。そして配分には優先順位がある。まず、軍、工作機関、軍需品を生産するような主要国営企業、平壌市特権層に配給され、残りが各市、郡の糧政事業所に送られる。そこでも優先順位があり、金正日体制を支える地域の党や行政組織、警察などに優先的に配給される。そして、一般市民にはほとんど配給がない。
さらに、一般市民への配給制度が1995年以降現在まで中断されたままであるため、公定価格で食料を購入できる特権層に割り当てられた食糧が市場に流れ、数倍の値段で取り引きされる。貧しい人ほど高値の市場価格で購入するしかない。北朝鮮では、特権層に有利になる市場構造になっている。このような構造の中で、国連機関の支援食糧も高値で市場に流れたのである。但し、国連機関の食糧の場合、一部は一般市民に配給されるので、その点は二国間支援よりもわずかに効果的である。
脱北者たちの証言では、「国際支援物資など食べたこともない」という人がほとんどである。筆者は餓死者が多発した95年から99年まで毎年北朝鮮を訪問したが、どこに行っても「コメはほとんど食べていない」と聞いた。コメは保存可能な戦略物資であり、軍需物資でもあるため、コメの支援割合を増やすためにそう言わされた面もあろうが、実際にほとんど配給されなかったことが脱北者の証言で明らかになっている。そして、金東洙氏の証言通り、支援食糧は軍や治安機関等を中心に配給されたのである。
支援食糧の多くは、配給前に事前に抜かれる。倉庫に積まれた大量の食糧のすべてについて国連機関は監視できない。WFPと印刷された、袋詰めのまま手付かずのコメ袋等が市場に出回っている写真が報道されたが、事前に抜かれたコメの一部が、高額で市場に流されたのである。
WFPは、「ノーアクセス、ノーフード」、つまり、モニタリングができなければ支援しないという原則をかかげているがそれは言い訳に過ぎない。国連機関の食糧支援は、支援量が多ければ多いほど実績とみなされ、善行の実施と考えられているが、独裁国への支援は体制維持にしかならず、弾圧機関に優先的に支援食料が送られ、国民の苦しみが増している。
◆コメよりご飯を
重要な問題は、国連機関の食糧支援ではでは配給のモニターのみで、消費のモニターがないことである。配給した食糧がきちんと消費されたかどうかの調査である。ところが、北朝鮮では配給後の食糧が当局に回収される。長期保存が可能な穀物の支援は、回収のリスクがつきまとう。
前出の金聖玟氏の証言をもう一度掲載したい。
元軍人で脱北者の金ソンミン自由北朝鮮放送代表は、同紙のインタビューに応じ、「以前、北朝鮮軍が各家庭をまわって、国際社会が支援した食糧を回収した。軍人が、配給された食糧が100%回収されないことに怒っていたことを覚えている、と話した」(「東亜日報」2011.02.21)。
北朝鮮のような独裁国家の場合、飢餓の時期には特に、援助食糧は権力者・弾圧者側の食糧維持に転用されてしまう。そして国連機関の「人道支援」は、独裁体制維持のための「非人道行為」となる。その結果、大量の餓死が発生したのである。
独裁国に対する支援は、穀物ではなく、調理された食事を配給するのが最も効果的である。これなら回収されることはない。食事を配給すれば、その場ですべて消費されることは明らかで、調査もいらない。
北朝鮮の一般住民に国連機関等の支援食糧はほとんど配給されていない。配給されても回収されていることが脱北者への調査でも明らかになっている。
「対北朝鮮人権団体の北韓民主化ネットワークが、韓国国内の脱北者500人を対象に実施したアンケート調査によると、391人(78.2%)が、韓国や国際社会が支援した食糧を『受け取ったことがない』と回答した。受け取ったことがある106人のうち29人(27.4%)は、支援食糧の全て、または一部を「返納した」と答えた(「朝鮮日報」2011.04.07)。
「返納」というのは当局により回収されたということで、国連機関や日本・韓国などの二国間支援は、「確実に配給」したと報告されてきたが、「確実に消費」されてはいない。
約8割の人が「受け取ったことがない」と回答したのは、国連機関の支援が一般住民にほとんど達していないことを示している。また、「同僚や自宅周辺の人への分配も78.5%が『1度も見聞きしたことがない』という回答もそれを示している」。
また、北朝鮮の食糧問題を解決する根本的な方案として、脱北者たちの94%は「改革・開放」を挙げ、「大規模な食糧支援」と答えた人の割合は1.4%のみであった。そして、どこに届けられたと思うかについての解答は、「北朝鮮軍」(73.6%)、「党幹部」(69%)、政権機関(48.8%)、平壌の特権層(38.8%)の順であった。北朝鮮住民は独裁政権を全く信用していないということである。
「調査対象500人のうち6割近い294人が2010年以降に韓国入りしており、出身地もほぼ全国にまたがっていることなどから、調査結果は近年に至っても国際社会からの食糧支援が一般住民まで届いておらず、軍や党幹部、平壌市の特権階級などに向けて横流しされたり、提供元を隠すため別の袋に入れ替えて市場などに流通させていることを物語る(「世界日報」2011.04.07)。
配給しても当局に回収されることは以前から分かっていた。北朝鮮のような異常な国に確実に配給するには、現地に人的協力を求め、炊き出しで「食事」を配給するしかない。炊き出しならすべての食糧が消費される。国連機関は、部分的な配給のモニターだけで「必要なすべての人に配給した」と説明、宣伝しているが、全く信用しがたい。相手国の実情を直視せず、実績主義に陥っていると考えられる。
北朝鮮のような人権抑圧国家への国連の食糧支援は「人道支援」とは言えない。また、配給のモニターだけでなく、消費のモニターが併用されなければ、「必要なすべての人に配給した」とは言えないのである。独裁国家への「人道支援」は非人道行為であることを自覚すべきだ。そして独裁国家の人民を救うための「人道支援」を行うならば、その原則は、「コメよりご飯を!」である。
目次
報告概要
I.北朝鮮の食糧生産統計
1.毎年の調査基準が全く異なる国連機関の食糧生産統計
2.コメは100万トン水増し
3.メイズも100万トン水増し
4.国際社会が実態を誤解
5.不足しているから聞こえてくる悲鳴
6.北朝鮮の1日一人当たり食糧は江戸時代より3割少ない
II.北朝鮮の人口統計
1.不可解な国連機関の人口増加率訂正
2.おかしな報告の数々?北朝鮮人口調査
3.人口は300万人水増し
III.水増し統計を発表し続ける理由
1.個人独裁の責任が問われる
2.搾取と抵抗の朝鮮史
3.人口の水増しで国際支援を訴え
4.統計のからくりも限界に
5.国連支援機関の問題点
6.独裁国家への「人道支援」は非人道
7.国連は家族農業を認めない国家には人道支援を行うな